rider notes

BC-ZR750C乗りの残しておきたいログ

北陸|8.せせらぎ街道

 時計を見ると12時ジャスト。

 昼めしを食うならココだなと思いながら何気なくツーリングマップルを見たら、

飛騨牛(を)ホウバ(に乗っけてじゅーじゅー)焼き(焼きしちゃおう)」というのだ。なんと官能的な響き……。しかし、垂涎の表情で食事処のメニュー看板を見てみるとなかなかよいお値段をしているではないか。ラーメンなら800円で食べられるなと普段のサラリーマン根性が一瞬顔を覗かせたが、久しぶりの飛騨だもの。ここはいっとけ。

THE 飛騨牛

 結論から言えば、食べた後の率直な感想は「わが人生に一片の悔いなし」。

 再び四郎号に跨って道の駅から少し進んだところでGSを発見したので、念のため給油を済ませておく。

 ここからが本日のメイン、もうかれこれ10数年ぶりのせせらぎ街道だ。

 ほとんど車のいないスーパー快走路のせせらぎ街道だが、ここでも例のポスターを頭の片隅に置いて気を緩めることなく気分よくスルスルスルスルスル~と。

 県道73号線~R257~R472と乗り継いでせせらぎ街道をひらひらと気分よく走り続けていたが、ハムの看板もかしましい明宝地区に入ると、目の前にものすごーーーく安全運転なバスが来てしまった。

 さすがに30Km/hで走られるとバイクのこちらはメンタルまでやられてくる。折しも天気はビビるほどの快晴で、走っていても汗ばむほど。30Km/h以下だとメッシュジャケットの下にウインドブレーカーを着てしまったことを激しく後悔してしまう。

 しばらくバスの後ろでおとなしく走っていたが、道の駅が見えてきたので小休止することに。

 とりあえずバスにやられたメンタルを治癒するために一服……と駐車場の中央に目をやると、何やらずいぶんと勇ましい銅像。このあたりで有名なのって誰だ? と興味半分で見に行ってみると、人ではなくて馬だった。その名は磨墨(するすみ)。

 1184年に行われた宇治川の戦い源義仲 vs 源範頼義経)で梶原景季佐々木高綱の先陣争い伝説で有名な磨墨。その磨墨はここ明宝が産地ということで、地域振興に一役買っているというわけだ。磨墨と生食(いけずき)は、今でいえばさしずめフェラーリランボルギーニみたいなものなんだろう。乗ったことないけど。

 地図を見ると、このせせらぎ街道(R472)を南に辿っていけば郡上八幡がある。四郎号と一緒に郡上八幡に行ったことはあるが、そのときにお城は行っていない。時間もありそうだし、寄ってみるか。

 再びせせらぎ街道・R427へ。

バスがいなくなると快走路

 タイミングよく前後で走ることになったSRのお兄さんと勝手にランデブーしながら郡上八幡の街なかに入ったら、「お城はコッチ」の看板に従ってちまちまと進む。

 ぼくの消えかかっている遠い記憶だと、郡上八幡城へはけっこう上までバイクで上れたはず。ところが、

は?

 不動産のチラシで「徒歩12分」とあれば「ゆうに15分はかかるな…」と予想しなければならないのだが、ここの「徒歩12分」は果たしてどうなのか。

 ところどころにあったショートカットの階段を駆使し、ひーひー言いながらラストの石階段も上りきり、

 時計を見るときっかり12分で、30数年ぶりの郡上八幡城。

超定番のアングルでどうぞ

 富山城と同じく模擬再建なのだが、全国でも珍しい木造の模擬天守なのだ。主に遠藤氏や青山氏が治めたこの郡上八幡の特権階級だけに許された城下の景色もしっかり拝めた。

 さて、ここからどうするか。

 愛する奥様からは「慌てて帰るくらいならもう一泊してきたら?」という考えられないほどの寛大な御判断をいただいている。しかし、好事多し。ここは帰りを待ちわびている(はずの)愛する奥様のもとへ帰還することとする。

 となると話は早い。すぐ近くにある郡上八幡ICから東海北陸道を南下し、一宮で名神へ。

 となると、なぜか寄りたくなる養老SA。

養老SAではまだ青空が広がって気持ちよかった

 養老SAから1時間ほどして現れてくるのが草津PA。ここもなぜだか寄りたくなってしまう。

草津PAあたりでそろそろ薄暮の雰囲気

 晩めしに唐揚げ定食をたらふく食って四郎号のもとに戻ってみたら、すっかり暗くなっていた。

 京滋バイパス第二京阪近畿道と流れに乗って約1時間で最寄りのSA。

 今回のツーリングは、交通安全週間の真っ只中で無事故・無違反を無事に達成できた。よくがんばったぞ俺!

(本日のルート)

(おしまい)