rider notes

BC-ZR750C乗りの残しておきたいログ

熊野|1.大塔の桜

 桜も満開を過ぎ、やっと訪れた春の陽気からは少し肌寒いけど快晴。朝のうちに用事を済ませたら、取るものもとりあえず暖機橋へ。

「取るものもとりあえず」とは書いたが、かといってどこという行くアテがあるわけではない。暖機していた四郎号の横でなんとなく地図の上の道を南に辿った先に見えたのは、ボールペンでぐるっと丸で囲んだ「瀞峡ホテル」だった。

 行ったことがないからいつか行ってみたいなーと思って付けた印。今日はもう行けそうな時間じゃないけど、R168で行けば途中にいろいろとポイントはあるし、行けるところまで行ってみるか!

 いつもの調子で京奈和道に乗ったら電光気温計は15~18℃。バイク乗りからすれば、どちらかというと肌寒いコンディションのなか、五條ICで下りたところにあるローソンでホットのカフェラテ。今までブラック専門だったけど、最近はすっかりラテに夢中なのである。

店から出て「カッコいいバイクやん何アレ」と思ったら四郎号だった(てへ

 そろそろいい時刻だったから、豚珍館で昼ごはんでも……と思ったが、

 12時になってもいないのに、案の定駐車場は隙間なく車で埋まり、空席を待っている人が外にも溢れている感じだった。ここの駐車場は、満車になるとバイクを停める僅かなスペースもないのが辛い。

 昼ごはんは途中で済ませるとして、このままR168で南進することにした。

 去年、咲くにはまだまだ早すぎる時期に梅を求めてぶらっと訪れた賀名生。

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 このあたりからR168はしばらくの間、小さな集落と、

 山間と、

 集落と、

 山間を、

 繰り返しながら天辻峠を目指す。

 峠に向けてぐいぐい上っていくのがはっきりわかる辺りからちょっとずつ空気が冷えているのも感じられただけに、陽が当たる山肌のところどころにヤマザクラが見えると温もりを感じられるようで、ひらりひらりと気分よく走れた。

 たまにやってる工事の片側通行を待つバイクたちでマスツーリング感が一気に出るくらい、この日はびっくりするくらいツーリングを楽しむバイクが多かった。途中で何度か、「今日って平日だよね?」と思った。

 天辻峠を越えて下りに差しかかると見えてくる道の駅 大塔に到着したのは、まだまだお昼を過ぎたあたりだった。

 体も少し冷えた+腹ぺこ=食事処即突撃! ところが、

おばちゃん「あー、今満席やから無理やね~。おにぎりとかの持ち帰りならイケるよ~」

 俺はあったかいもんが食べたかったんや……と心のなかで力なく呟きながら退散。道の駅じたいも定休日だったんだから、これはこれでしかたない。

 時間もまだまだあるし、ここからR168を下って行けば少しはあったかくなるだろうと読んで、十津川まで行ってみることにする。やることがなかったら、温泉に入って帰るのも悪くはない。

 道の駅 大塔の斜め向かいに見事な桜の一群が見えたので寄ってみる。

 「維新胎動の地」の石碑が見えるこの天辻峠は、幕末期の事件の一つである「天誅組の変」と呼ばれる事件の舞台になった場所だ。

 1863年8月13日に発せられた孝明天皇の大和行幸の先鋒となって天皇の威光を喧伝するべく、土佐脱藩浪士・吉村寅太郎ら攘夷派40名ほどが8月14日に蜂起。8月17日、京都から五條へ到着した彼らは幕府の五條代官所を襲撃。代官の首を刎ね、代官所に火を放った。

 と、ここまではよかったのだが、なんと挙兵直後の8月18日、八月十八日の政変で攘夷派公卿や浪士達が失脚し京都から追われることになってしまった。もちろん攘夷親征を目的とした大和行幸は中止となり、挙兵の大義名分を失った天誅組はただの「暴徒」とされ、幕府の追討を受ける身となった。

 その天誅組が幕府軍を迎え撃つために本陣を移したのが、ここ天辻。結局、天誅組は壊滅して無惨な最期を迎えることになるわけだが、この事件は幕末維新期だからではなく、攘夷派か開国派かでも、正しかった間違っていたでもなく、ただただ「運」というものの存在をぼくに考えさせる。

レスト(定休)と大塔宮護良親王像

 今年はなんだかんだで桜は諦めていたので、日向で間近に見られた桜は、想像以上に美しかった。

(つづく)