一日中絶賛雨予報のはずだったが、起きてカーテンを開けると遠く晴れ間も垣間見える。慌てて降雨予想を見ると午後3時まで雨雲は一帯にないじゃないか! これはもう乗っちゃうしかないんじゃね? 乗るしかないよね? そそくさと支度を済ませて暖機橋へ。
昨晩、侘び寂びについてのサイトをあれやこれやと見ていたときに、高野山の金剛峯寺に「蟠龍庭(ばんりゅうてい)」という日本最大規模の枯山水庭園があることを知った。高野山には今まで(四郎号とも)数え切れないほど行っているのに、奥の院やら道沿いのお土産屋さんには入っても、そういえば肝心の金剛峯寺の中に入ったことがなかった。
普段は気にも留めない侘び寂びなんてワードでネットサーフするなんて、昨夜のことは天啓だったのだ。これはもう行くしかあるまい!
山を越えて和歌山に入り、笠田からはR480で。山に入っていくにしたがって、昨日一日中降り続いた雨の水滴を存分に含んだ空気の中、いかにもみずみずしく生い茂っている新緑を見るだけでも爽快。
交通量ほぼ無しの平日パワーを炸裂させながら10時半きっかりに大門前に到着。
金剛峯寺前の駐車場はあいにく満車でバイクを置く隙間すらなかったので、第2駐車場の片隅に四郎号を置いて、歩いて向かうことする。まぁ歩くといっても数分の話だ。
金剛峯寺に向かって右手に進んでみると案内図。
確かにこんなところに拝観受付があるなんて知らなかった。ふむふむ……蟠龍庭を見るためには金剛峯寺の中に突撃せねばならないということだな。拝観料は1000円也なのだが、空海の心の真髄に近づけるのなら安いものだ。
受付から進むとすぐに狩野元信筆とされる絢爛豪華な襖絵がドドンと並ぶ大広間。その横に梅の間と、関白だった豊臣秀次が自刃したと知ると途端に血なまぐささすら感じる柳の間が拝観できる。そして、別殿への長い渡り廊下。
別殿の広さ(合計169畳!)にビビりながら、順路通りに進むと、いよいよ蟠龍庭へとつながる廊下へ。
ばぁーん、りゅー、てぇーい、ドーン!
上の写真に見える奥殿を守る龍を模して配置された石は四国の花崗岩、雲海を表した白川砂は京都のものが使用されている。
1150年に造園されたこの庭園は2340平方メートル(約708坪)で日本では最大級の規模。これだけでも1000円を払う価値があるじゃないか。(たぶん)
タイミングがラッキーだったのか他の観光客もほとんどいなかったので、廊下に座って少しの間、石庭を眺めることとする。わずかにいる外国人観光客に、侘び寂びの精神を少しでも感受しようとする日本人の姿を見せつけてやろうじゃないか。
枯山水の石庭としては京都・龍安寺のものが有名だが、
侘び寂びが日本の伝統的な美意識を表すとはいっても、そんなものとはほど遠い(中にはほとんど対極的な)、そして多種多様な価値観が現代では認められている。今の日本人の感覚からいえば、それらはもう「古典的」という以外に価値を持たないのかもしれない。それでもいにしえの日本人が持っていた感覚だ。ぼくの中にも、ひょっとしたら侘びや寂びのDNAが眠っているかもしれないな……などと考えていた。
というのは真っ赤なウソで、辺りに響き渡る鳥の甲高い声をバックに、「枯山水ってナンなんだ?」と心の中では呆然としていた。しかし、座って石庭を見つめるぼくの顔を見て、「Oh! サムライ!」と恐れをなしている外国人観光客の手前、難しそうな顔をしておかねばならない。そして、やおら立ち上がり、意味ありげに「ふむふむ…」と何度か頷きなから、ぼくは庭の前を離れたのである。
空海の心の深淵に近づくどころか双龍の形などさっぱりわからないながらも、念願の蟠龍庭を見ることができたので、四郎号のもとへと戻り、高野山を後にすることとした。
(つづく)