おはよーございます。今朝の耳の奥には打ち上げ花火の音がかすかに響いているような響いていないような。
そんな3日目の朝。
パークイン富山さんの朝食バイキングは6時からだが、「5時台起床→即朝めし」はいくらなんでもキツい。6時すぎにのっそり起きて支度をしてから1階にあるダイニングに行ってみたら、お客さんはまだ数人しかいなかった。みんな考えることは同じだな。
バイキングの品数はルートインやスーパーホテルには遥かに及ばないが、それでもおかずを皿によそっていると、目の前には「バリューアップ❤ 朝カレー」「おいしいごはん」というポスター。
ここまで言うなら食わずにはおれまい。
ゆっくり食べ終わって時計を見るとまだ7時にもなっていない。今日もそんなに慌てるほどではないし、昨夜お祭りをやっていた城址公園がせっかく近いので、歩いて行ってみるとする。
外に出てみると汗ばむでもなく、かといって肌寒いでもなく。ホテルのすぐ隣りにある大きな県庁前公園を横切り、
まだひと気のない県庁の敷地のなかを通って進むとすぐそこには堀がある。
週末を終えてこれから平常運転の様相を見せかけている街を横目に橋を渡ると、富山まつりの残り香を感じる石垣が見えてくる。
門をくぐったら復元された富山城址。
ぱっと見でわかる白々しいほどの模擬天守だから中に入ってまで見たいとは思わないが、富山城の歴史は意外と古い。越中国守護代だった神保氏によって築かれ、その後上杉氏の襲来による神保氏の敗走、織田氏による佐々成政の配置など、北陸街道と飛騨街道が交わる交通の要衝らしい複雑な歴史を辿ったことでも知られる。
数名のご老人がベンチに座って朝の公園の静かな空気を楽しんでいる中、ぶらぶらとホテルへ戻る。
支度をして、7時半すぎにチェックアウト。
先ほど散策した城址公園の西を南北に通るすずかけ通りから花水木通りを東に折れてR41へ。R359が見えたら西へ曲がり、通勤ラッシュで混み合う婦中大橋で再び神通川を越える。
ガソリンにまだ余裕はあったものの、今日走ろうとしているルートにはGSがあまり期待できないので、入れられるときに入れておくことにする。
外輪野あたりでR359と別れ、県道222号線へ。
さっきまでの国道とは違ってすっかり田舎道然とした県道222号線を、時には30Km/hくらいになりそうなほどの低速で進む。
そのうち気づけばぐいぐいと山に入っていき、
途中から見えてくる「夢の平スキー場」の看板にしたがって尚もぐんぐん上っていくと、
ホテルからほぼ1時間かかって見えてきたのが、散居村の展望台。
目の前に広がる砺波平野にあるのは約7000軒の農家がまさに「散居」する風景だ。
特徴は、それぞれの農家が自分の家の周囲に「カイニョ」と呼ばれる屋敷林を巡らせていることだ。「カイニョ」は季節風や風雪から家を守ってくれただけでなく、炊事などの貴重な燃料、生活用材にもなったそうで、すぐ近くに作った水田とともにある意味で自然と共生しているのが、この散居村なのだ。
県道346号線をぐねぐねと南下しR156に乗るとすぐに庄川に沿い、その途端にスノーシェッドが連続する。
ここが飛騨峡合掌ラインと呼ばれる絶景ロード。
信号もほぼなく、車がほとんどいないうえに路面もよく、適度な感じのクネクネぶりでついつい快走してしまい、写真を撮るヒマがなかった。
庄川を一度渡って進むと、五箇山合掌造り集落の一つである相倉集落の看板を発見。一旦合掌ライン(R156)を離れて段丘上にぐいぐい上っていくと、
そこが相倉合掌造り集落だ。
同じ合掌造り集落としては、五箇山(菅沼・相倉)よりも白川郷の方がはるかに有名だ。五箇山はどちらも迫力では白川郷に遠く及ばない。ここ相倉集落では茅葺屋根の家は合計24棟しかない。
ただ「箱庭感」というか、のんびり歩いて見て回ってもそんなに時間がかからないサイズ感がちょうどいい。
ここ以上に「素朴で長閑」という言葉の似つかわしい集落があるだろうかと思えるほどの相倉集落で一番目を引いたのは、茅葺きの屋根の部分だけの小屋。
案内の看板の説明によれば「三郎」という屋号で呼ばれ、これは合掌造りとしては原型ともいわれる形態だそうだ。今は目の前にある「三五郎」という屋号の茅葺家屋に住む方の倉庫として使われているということで少し中を覗いてみたのだが、もちろん屋根裏ていどの大きさしかない。昔はここに一人の老婆が住んでいたそうで、一人ならギリギリだろうか。
駐輪場に戻ったらあれだけいたバイクが四郎号を残して全部いなくなっていた。
そういや、集落を歩いていてもライダーらしき人たちを見なかったな。ここでは泊まれる茅葺き家屋もあるから、ひょっとしたらその宿泊客だったのかもしれない。
相倉からバイクで10分ほど離れているところにあるのは菅沼集落。ここのバイク駐輪代は100円。ちゃんとバイク用のスペースも確保されていたけど、案の定バイクはぼくだけ。車も全部で10台いないくらい。
看板を見ると「展望台→」とあったのでその通りに歩いていくと、さっきまで走っていたR156に出た。つまり、国道の道端から見るのが最も美しく一望できるということだ。
国道からぐるっと回って菅沼の集落へ。
周囲を見渡してみると1000mはありそうな山々に囲まれている。真冬にもなると雪は2~3mは軽く積もる。そんな厳しい環境でもたくましく生き続けている人たちの知恵が、この合掌造りなのだろう。ここ菅沼は、先ほどの相倉にすら及ばない合計9棟の合掌造り家屋しかない。
そんな中の一つに民俗館があったので入ってみる。入館料を支払ってすぐ正面には囲炉裏の間。
今まで何度か囲炉裏のそばで時間を過ごしたことはあるが、なぜ囲炉裏端は心が落ち着くんだろう。
1階には他に紙漉きの器具などが展示してあり、お次は2階へ行ってみようとふと階段を見ると、この角度。
もはや老人の境地に差し掛かっているぼくにはなかなかキツい傾斜角。足元に気をつけながら上りきったら、厳しい自然に負けじに過ごした五箇山の人々の暮らしの品々、そして、かつて養蚕に用いたたくさんの器具などが展示されていた。
お土産物屋さんを覗いたりしつつ、のんびり歩いて四郎号のもとへ。
声が大きいとの悪評高い関西人のぼくですら引くほどバカでかい声で喚き立てる某国観光客もほとんどおらず、ゆっくりと静かに歩いて回ることができた。
時刻は11時過ぎだがいつの間にか晴れ間が広がって日は高く、すっかり汗ばむ陽気になっている。ここからは本日のメインに向かうため、菅沼集落からすぐにある五箇山ICから東海北陸道でぎゅいーんと一気に高山まで行くとする。
順調に高速を走り、高山西ICで下りたところに道の駅があった。時刻はちょうどお昼を迎えようとしていたので、とりあえず寄ってみることにした。
(つづく)