rider notes

BC-ZR750C乗りの残しておきたいログ

舞鶴

 梅雨が明けたのは大歓迎なのだが、本日の商都の最高気温は34℃。ふと思いついてハワイ・ホノルルの最高気温を見てみたら29℃。

 どゆこと?

 そんなホノルル超えの本日、ある疑問を解決するためにサクッと走りにいくことにした。

 拍子抜けするほど涼しい近畿道の長~い通勤渋滞を無の境地でやり過ごし、第二京阪に入れば一転快走。久御山JTCから京都縦貫道に入っても道端の電光掲示板は27~29℃を示している。こりゃいいや……と内心ニンマリしながら走っていたら腹がきゅるきゅると催してきたので、見えてきた道の駅へ。

ajim.info

 ところがどっこい、どこかの小学生軍団がバスからわんさか降りてきているバッド・タイミングでトイレが大渋滞。

 そんなチルドレンに負けじとトイレに突撃。鬼気迫るぼくに恐れをなしたのか、『十戒』の波のごとく小学生たちが道を開けた瞬間を見逃さずに個室へ滑り込み、朝の儀式を厳粛に執り行ったぼくが、四郎号に戻りつつ、ふと空を見上げると、

 すんげーどんより……。

 しかし、ここまできて曇天ごときで挫けてはおれん。そんなぼくの気迫が伝わったのか、そのまま京都縦貫道を北上していたら徐々に晴れ間が面積を広げてきたぞ。その代わり暑さは増していったのだが。

 綾部安国寺ICで京都縦貫道を下りてR27へ。初めは田舎道だがあっという間に西舞鶴の町。

 このあたりになると明らかに体感35℃の日差しの中、生意気にも車が多い西舞鶴の町を悟りの境地でひたすら直進。

 今回の謎を解く前に、まず目指すのは吉原入江。

maizuru-kanko.net

 時々Twitterだかインスタだかで見る吉原入江は、伊佐津川の河口近くにある漁港の町にある。

 全く観光地化されていない長閑で小さな町。買い物にでも行くのか、古い自転車に乗ってゆっくりと通り過ぎるばあちゃん。エンジンを止めると耳に一気に押し寄せてくる蝉の鳴き声。どこかすぐ近くの家で練習しているのだろう、覚束ない旋律で聞こえてくるピアノの音。

 強烈な太平洋高気圧に何もかもが輪郭を鮮明にしているというのに、幻想的な風景だなとぼくは思った。

 さて、ここからは本日の本題。ここ吉原入江からほど近い五老岳に、それはある。

 「近畿百景第1位」を名乗る絶景らしいのだが行った記憶がないのだ。おかしい。そんなキャッチーな場所を、今以上に好奇心だけは旺盛だった若い頃のぼくが見逃すはずがない。ご丁寧にも舞鶴湾を展望できるタワーまであるというのに。

maizuru-kanko.net

 この「近畿百景第1位」という言葉を知ったのはバイクにリターンしてからだ。それからずっと気になっていたものの日々にかまけてしまっていた。そうだ。「行こうと思えばそのうち行けるやろ」という、いつもの「明日やろうは馬鹿野郎」シリーズだ。

 吉原入江からすぐにR27に入って5分もすれば、「五老スカイタワーこっち→」の看板。

 R27から折れたくねくねの上り道はしっかり往復2車線。特別キレイというわけじゃないけどほどほどな路面を5分ほど上りきったら、蝉の声が充満しているタワー駐車場に到着。

 思ったよりご立派なタワーにやや気後れしながらも、中はきっと冷房が効いているはず……と、そそくさと支度を済ませてレッツ・ゴー!

 と思ったら、タワーの足元でご近所から来たと思しき家族連れがきゃーきゃー言いながら景色を眺めていた。

パパ「お! あれは和田中学校やないか?」
息子「ほんまに?!」
ママ「あれは?」
パパ「火力発電所やないかなぁ」

タワーの足元からでも絶景

 家族三人がタワーに入ったすぐ後にぼくもタワーに突撃。すると、さきほどのパパが受付のおっちゃんに聞いていた。

パパ「このタワー、いつ建てられたんです?」
おっちゃん「1995年です」

 それを聞いてやっと納得できた。ぼくが放浪していたのは1990年頃だから、そりゃ知らないわけだ。

 すっきりしたところで受付に「JAF優待」とおもちゃみたいな幟が見えたのでスマホのアプリで会員証を見せてみると、ポストカードがもらえた。

 100円とか50円とかの割引のほうが現実的だなと思ったのだが、あとで売店コーナーを覗いてみると、このポストカードは100円で売られていた。

 小さな切符売り場の真正面にあるエレベーターであっというまに展望デッキに到着。そこは360度ぐるりと五老岳からの眺めを堪能できるようになっていた。

左:西港方面。手前の駐車場にちっちゃく四郎号
中央:東港方面。いわゆる鎮守府がある
右:関電火力発電所方面。海上保安学校も見える

 先ほどのパパが、ここらではナニナニ石がよく採れるんだとか、何万トンの船が国際的にはどーのーこーのーナノダとか、ママや息子に博識を披露していた。ジェントルなぼくは失われた父権を必死になって奪回しようとしているパパの後ろ姿にひそかに涙を流していたのである。というのは嘘で、ただ「うるせーオヤジだな」と思っていたのである。

 長年の疑問があっさり解けたうえに、あまり見られない舞鶴両港を一望する景色を堪能できたので、蝉の鳴き声で暑さが倍増している駐車場に戻った。

 舞鶴までやってきたらやっぱり外せないのは鎮守府である。再びR27へ。

 R27を5分ほども走れば突如見えてくる赤レンガ倉庫群。

akarenga-park.com

 舞鶴といえば北海道行きのフェリー乗り場としてぼくも1度お世話になったことがある。そのときに使った港のすぐ近くに赤レンガ倉庫群があるのは知っていた。しかし、その昔はなんだか薄気味悪く近寄りがたい過去の遺物といったイメージしかなかった。

 それもそのはず。現在残っている倉庫群12のうち9棟の建造年代は1901(明治34)~1903(明治36)年、あとの3棟は1918(大正6)年~1921(大正9)年だ。1901年といえば日清戦争の賠償金で官営八幡製鉄所が設立された年なんだから、そんなオドロオドロした頃の、ましてや鎮守府たる建物にポピュラリティーなどあるわけがない。

 ところが、ぼくがフラフラした生活を終えて社会復帰を果たした後の1993年に赤れんが博物館として、1994年からは舞鶴市政記念館として活用されることに。おまけに2007年にまいづる智恵蔵として建設当時の姿を再現した形でオープン。2012年には赤れんが工房、赤れんがイベントホールとしてオープンして、今日の観光地となったわけだ。

駐車場からチラ見できる護衛艦のお姿

 そう考えると、いくら日本全国を走り回ってふらふらしたことがあったとしても、年代的に出会えなかった場所や景色はもちろん多いわけで、それが今回の五老スカイタワーであり舞鶴赤れんがパークというわけだ。

 長生きはするものだ。

 幸いぼくは若い頃と変わらない趣味を持ち続けていられるから、こうやって若い頃に出会えなかったものにも出会えている。愛する奥様はじめ、いろんなことに感謝しなくてはならないな……と考えていたのである。というのは嘘で、ただ「あぢ~」とつぶやきながら、炎天下、倉庫群の中をてくてく歩いていったのだ。

 まずはひと通り中を見て回ろうと思っていたら、インスタとかでよく見る、#MAIZURUのオブジェがあるではないか。

akarenga-park.com

 しかもご丁寧にスマホを置ける撮影台まで用意してくれているではないか。これは撮らねばなるまい。幸い周囲には誰もいない。チャーンス!

 おっちゃん一人で何をやってるんだか。

 そこからオープンしている倉庫群をいろいろと見て回る。周囲を注意していると外国人はあまりおらず、日本人のほうが圧倒的に多い観光客構成。

 と思ったら、また撮影台発見。そして、またまた周囲に誰もいない。チャーンス!

 などとウカれているうちに時刻はちょうどお昼ドキ。昼めしなんぞ走っているとついつい「もういっか」と飛ばしがちだし、ここは是非とも海軍カレーをいただきたいところ。満員だったカフェも名前を書いて少し待てば呼ばれたのでそそくさとカウンターへ。

 メニューはそれほど多いわけでなく、ここは初志貫徹どころか初志倍増で肉じゃがコロッケ海軍カレー・ドリンクセットで。

どん!

 ま、カレーの味はほどほどということで。大切なのは「海軍カレーを食った」という事実である。その代わりというわけではないが、肉じゃがコロッケは肉肉していて美味しかった。

 肉じゃがコロッケとカレーでたっぷりと飽和脂肪酸を摂取したところで、赤れんがパークを後にする。

 時計を見たらここからまっすぐ帰るのも中途半端だなぁと思ったので、小浜にあるエンゼルラインに寄ってみることに。エンゼルラインももうかれこれ10年以上行ってないんじゃないか。

www.fuku-e.com

 舞鶴から小浜だと舞鶴若狭道に乗ればあっというまに着けるのだが、それでは面白くないのでR27を東進することに。

 懐かしい舞鶴のアーケード通りを通り抜け、

 長閑な田んぼあり、

 穏やかな海あり。

 地元の方々ののんびりした車にくっついて1時間ほど進んだら見えてきたエンゼルライン入り口。

 県道107号線がエンゼルラインなのだが、そもそもエンゼル=天使なのはなぜだろう。

 途中で四郎号のタンクくらいはありそうな落石が転がっていたり、路面もやたら荒れていたりして、天使にはほど遠いような気もする。無料なのであんまり文句は言えないのだが。

 初めは人っ子一人いなかったものの、途中で車に追いついてしまい、しかたなくのんびり追従。それでも10数分で駐車場に到着。

ここも絶景

 唯一の日陰であるベンチは先客に占領されてしまっていたので、一方通行をエンジンを切ったまま戻り、下にあった小さな駐車場の日陰へ退避。

 蝉の大合唱にすっかり夏を実感しながら、わずかに見える海を眺めて一服していると、どこからかヒグラシの声も聞こえてくる。ぼちぼち帰路につくとする。

 R162とR303で湖西道路に出れば早いのだろうが、湖西道路はどうも昔からあまり好きになれない。それじゃぁ鯖街道(R367)とスーパー快走路・県道47号線で堅田あたりまで行こう。

 R162からR303へ乗り継ぐために県道22号線を選んだのだが、これが奇跡的と思えるほどの広大な田園地帯のど真ん中を貫くスーパー快走路。

帰りの中では一番癒されたかも

 R303にスイッチして熊川宿の前を通りすぎ、鯖街道ことR367へ。ここはさすがに車の数も少し増えてきたが、前を走るホンダの黄色いS660? が、スマホを見ながら走っているのか、はたまたよろしくないお薬を常用しているのかは定かではないが、尋常とはとても思えないほどのフラフラ運転だったのですっかりビビってしまい、相当な車間距離を空けて走らなければならなかったのは疲れた。

 伊香立の地名が見えるとR477にスイッチし、今度は奥比叡ドライブウェイの看板が見えたら、スーパー快走路・県道47号線へ。ここは今年の春に逆方向で偶然走って見つけた「bar的本当は秘密にしておきたい快走路100選」の一つだ。

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 堅田からはしかたなく湖西道路を爆走し、名神の京都南ICで下りたらいつもの休憩場所であるローソン伏見竹田店。

 というか、軽く熱中症っぽい感じがあり、さすがに危険を感じたので休まねばならん。とりあえずミネラル麦茶とスポーツドリンクを合計1.1リットル分ペットボトルで買い、がぶがぶ飲んで一服。しばらくして落ち着いたのを見計らって第二京阪に乗り、近畿道もほとんど渋滞なく快走。

 念のため、最後のSAでまたまたドリンク補給を忘れない用意周到ぶり。

 つなぎを着たおっちゃんから、「RSかぁ。ええバイク乗っとるなぁ。わしも中古のん50万で買うチャンスあったんやけどよう買わんかったわ。今じゃそんな金額じゃ買えんなってしもうたなぁ」なんて声をかけられる。「気ぃつけてなぁ」というつなぎのおっちゃんの応援のおかげもあって、晩ごはんまでに無事生還することができた。

 しかしホント、こんなけ暑かったらツーリングはしばらく無理か?

 と言いつつ、また隙間を狙って出かけちゃうんだろうな。

(当日のタイムラインより)

(おしまい)