rider notes

BC-ZR750C乗りの残しておきたいログ

琵琶湖|2.鯖街道 宿場町

 奥比叡ドライブウェイを出たところで時刻ついでにツーリングマップルで行程も確認。県道47号線とR477を経由したら鯖街道。その街道沿いには朽木、そしてその先には熊川といった宿場町がある。まだ昼前だし、そこらあたりで昼めしにするか。

 というわけで県道47号線にスイッチしたのだが、この道がまた……眺めヨシ! 路面ヨシ! 交通量極少! の3拍子揃った快走路。この地に投票権などないにもかかわらず、次の選挙では現職に投票しようと固く心に誓いたくなるくらい素晴らしく長閑でいい道だった。

 県道47号線に後ろ髪を引かれる思いでR477にスイッチし、やがて鯖街道(R367)に入ると、

 見事過ぎる曇天と路面の悪さとすぐ脇を流れるいかにも清冽な安曇川(あどがわ)の流れと交通量の多さで一気に寒さ倍増……。本来は走っていてすごーく気持ちいい道なのだが、今日ばかりは寒くて寒くて仕方がなかった。

 原因はわかっている。首元から極寒の風がゴーゴーと冬ジャケの中に流れ込んでくるのだ。

 ネックウォーマーも持ってくりゃよかった……と激しい後悔をしつつも、そういえばコンビニでネックウォーマーが売られているのを見かけたことがあるぞ! と希望を見出し、いや待てGWも間近なこの時期にネックウォーマーなんか売られているのか? と一気に絶望に陥り、なにはともあれコンビニだ、コンビニコンニコンニコンニコンニコンビニ……と呪文のように唱えながら走る鯖街道は、今日のぼくにとってはただのツラい道に他ならなかった。

 残念ながら沿線に集落すらあまり見かけない山間を辿る鯖街道にコンビニなどあろうはずがない。おまけに快走路には必要不可欠な「信号がない」という好条件が、ミラーの中に延々と連なる背後の車たちと止めようもない路肩のなさの見事なコラボレーションによって、「止まって寒さを和らげることもできない」という裏目に出る始末。

 どうにかこうにか朽木の集落に入り、道の駅の向かいに発見したローソンへ緊急ピットイン。

 残念ながらネックウォーマーは見当たらなかったが、ちょうど首に巻けるサイズの手頃なタオルがあったので購入し、首に巻いてみると……ジャストフィット! これで生きて帰ることができる……と一安心したところで、目の前の道の駅 くつき新本陣へ。

 時計を見ると12時半。朝食を6時頃に食ったのでおなかも軽く限界を迎えようとしている。中を覗くと、飲食店は2階のバイキングレストランしかない様子。バイキングというと貧乏根性が出てついつい食べ過ぎてしまうことの多い貧乏barちゃんなのだが、バイキングしかないのなら仕方ない。甘んじて入店することとする。

 バイキングによくある「普遍的嗜好に迎合しているおかずばかり」ではなく、地産の野菜類も豊富。味付けも濃くもなく薄くもなくといったちょうどいい塩梅のうえ、安曇川の流れを目の前にして食べられる贅沢。

タンクバッグの上に置いてるのが例のタオル

 最後にホットコーヒーまで堪能し、すっかり腹もできて体温も上がったところで、1階の物販コーナーへ。そこで目にして気づいてしまった。

 鯖街道に来たのに鯖寿司を食ってない……。

 一瞬、「この3切れの焼き鯖寿司なら入るか」とも思ったのだが、バイキングでガッツリ腹いっぱいになってしまっている今、無理に食ったら逆流しちゃうかもしれない。ヘルメットの中での逆流は絶対に避けたいところだ。

 自分のバカさかげんにほとほと呆れつつ四郎号に戻り、ツーリングマップルを見てみると、

 鯖推しコメントのオンパレード……。ここまで見事にハズすとは。まだまだ修行が足りんな。

 さて、朽木は鯖街道鯖街道になる前から若狭路として立派に存在しており、湖西街道(現R161)の間道としても重要な働きをしていた。少しだけ往時を偲べる雰囲気も残っているので、2005年以来18年ぶりにチラッと通ってみよう。

 道の駅から見えるR367のGSの脇道に入って進むと、まずドカンと見えてくるのは丸八百貨店。

2005年 Tちゃんと

 戦前の竣工だから「鯖街道」とは関係はないのだろうが、こんな山奥の集落によく建てたな~。現在は地元婦人グループが喫茶コーナーを運営しているそうで、地元の年配の方々の憩いの場になっている。

 ここら一帯が朽木の中心地である「市場」地区で、丸八百貨店から北に進むと、赤殻の連子格子が特徴的な旧商家である熊瀬家の住宅が残っている。

 案内板によると、「室町時代後期(16世紀のはじめの頃)の文書によると、市場には米、魚、紙などを商う家が17軒存在し、問丸や馬借という運送業者もいて、繁栄していたことがわかります。江戸~明治時代には、米・魚・饅頭・豆腐・炭・綿・金物・桶・傘・呉服・雑貨などを取り扱う商家や、医者・宿屋・風呂屋・質屋・染物屋・駕籠かきなどの業者がいたと言われています。とりわけ、熊瀬商家(仁右衛門家・伊右衛門家)は酒造りや醤油造りを本業とする一方で、藩の御用商人として保護を受け、幅広い商業活動を行っていました」……説明が長いぞ。

 ローソンでゲットしたタオルを首に巻きつけて走ってみた効果は絶大。すっかり通常モードで走り出したぼくは朽木からR367を北上し、R303に入って小浜へ。すると、その途中、対向車線では次から次へとものすごい数のクラシックカー

 ミーティングとかやってるんだろうけど、今日って月曜だよね?

 そうこうしているうちに見えてきた熊川宿。

 安土桃山時代に整備された鯖街道(若狭路)随一の宿場町・熊川宿は、江戸時代には繁栄を極めたものの、明治以降は輸送の中心が鉄道に移ったあたりから徐々に衰退。幸い必要以上に再開発されることもなく、1996年に重要伝統的建造物群保存地区に指定された。今では保存活動も盛んで、年間では40万人の観光客を数えるまでになったとのことだ。

 道の駅の裏手(東側)から入ると最初に見えるのは番所

 番所は警備や見張りのために役人が詰めるためのもので、ここ熊川宿の番所は元あった場所に正確に残る数少ない例らしい。っていうか薄暗い中に妙にリアルなお役人の人形を置くのは反則だ。心臓止まるかと思ったぞ。

 そこからそれらしい雰囲気が始まり、木造りの橋を渡ると本格的に熊川宿の始まり。

 見えている用水路は「前川」と呼ばれていて、宿場町にはなくてはならないものだ。確かに今まで行ったことのある旧宿場町には必ず小さい用水路があったな。

 と思ってふと奥を見ると、宿場町には似つかわしくない洋風建築。元々は村役場として使われていた、現宿場資料館。今日(月曜)は休館日とのことで残念。

 新緑が一番見事だったのが松木(まつのき)神社。江戸時代初期の義民・松木庄左衛門を祀ったという。詳しくは知らん。

 松木神社の前にあるのが荻野家住宅。

 荻野家は運送業を商う問屋を営んでおり、母屋は1800年頃の建築で熊川宿では最も古い建築物。ただし写真に写るのは母屋ではなく荷蔵。まぁこれでもたいそうな雰囲気はぷんぷんなのだが。

 西側まで通してなるべく音を出さないようにそろ~りと走り、R303に戻ったら道の駅 若狭熊川宿で帰り道の確認。

 来た道を戻る(鯖街道)のも悪くはないが、わけのわからない京都市内を経由しなければならないのが難点。それなら湖西道路(R161)で京都東ICまでドスンと行ったほうがわかりやすい。

面白み皆無のR161で唯一の見どころ・白鬚神社

 第二京阪近畿道を爆走して戻ってきた最寄りのSA。

 最後の一服を楽しんでいると、やたら聞こえてくるのは燕のかわいい鳴き声。これから巣を作ろうとしている親ツバメか?

 かわいかったなー。ぼくも愛する奥様の待つ家まで安全運転で走ります!

(おしまい)