rider notes

BC-ZR750C乗りの残しておきたいログ

宿場町|1.宇陀松山

 このところ海ばっかり見ていたので、本日は山道を走るべく出発。

すっかりあったかくなりました

 目的地は関宿。インターネットで「関宿」と検索してみると、千葉県野田市にある関宿(せきやど)が多数ヒットする*1が、ぼくが目指すのは三重県亀山市にある関宿(せきしゅく)。東海道の旧宿場町で、重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)にも指定されている。

 地図を見れば一目瞭然なのだが、関宿に行くには、西名阪道→名国(名阪国道)が最も効率がいい。

 しかし、ぼくはそもそも名国が好きではない。それでもぼくのことだ、帰りはおそらくめんどくさくなって名国〜西名阪道に乗ってしまうだろうから、せめて元気な行きだけでも山の中をぐるぐる時間をかけて行ってやろう。

 まずは京奈和道で五條に出て、そこからは吉野川沿いに下市を経て上市(吉野の麓)へ。

こっちに来るのも久しぶり

 吉野高校*2が見えたらローソンを左に折れて奈良県道28号線。このあたりからすっかり奈良の山中の気配で、「鹿飛び出し注意」の注意標識も現実味あり。

 ぼくが走れるのはほぼ平日ということもあるのだろうが、いつ走ってもこの奈良県道28号線は「車が(ほぼ)いない」「信号がない」「適度なアップダウンとカーブ」「路面がいい」と四拍子揃った快走路だ。そうなんだよ、こういうのを求めていたんだよ、と内心ニンマリしていたのだが、まさかこの後「県道28号線」に悩まされることになろうとは夢にも思っていなかった。

 奈良県道28号線を気分よく走っていたら唐突に現れるR370。

 その交差点から10分も走れば、道の駅 宇陀路大宇陀。

 無事朝の儀式も厳粛に済ませ、中に入って観光パンフレットをなにげなく手にとってみると、すぐ近くに往時の町並みの残る一帯があったのを思い出した。今日目指す関宿もそうだが、宇陀の町並みも重伝建に指定されている。関宿ほどの規模ではなさそうだし観光地化されているわけでもなさそうだが、ちょくちょく道の駅にはお世話になっているのに町並みにまで行ったことがなかった。せっかくだしすぐ近くだから行ってみることとする。

 この宇陀町松山は、14世紀半ばに造られた城が発端となってできた町だ。具体的には江戸時代、信長の二男である織田信雄から続く家系が陣屋を構えて町づくりがなされ、その後紆余曲折はあったが、その一部が今に伝わっているということだ。

 重伝建には2006年に指定。規模としては小さく、案内や説明のための小さな看板が設置されているだけだ。先日の熊川宿のように電線を地中化しているわけでもなく、地元の有名な食材をふんだんに使った食事処や若い女の子がこぞって列をなすようなカフェがあるわけでもない。

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 もちろん観光地になったそういう町も十分に楽しめるし、今日のぼくもそういう町に行こうとしているわけだが、ここのように観光地化されきっていない町には今も表札が出ている現役の住宅が多い。現にぼくが四郎号を止めて1~2分ほど写真を撮っていただけでも、向かいの家(これも有名な住宅)の方が怪訝そうにこちらを見ていた。もちろん朝だし人通りも皆無だったからエンジンは切っていた。見せていただく側にとっても観光地だからと甘えることなく、適度な緊張感があっていいんじゃないか。

 メインストリートの西側には、城下町の入り口として建てられた西口門が残っている。

 約400年前に、織田氏が宇陀に入ってくる前の領主だった福島高晴(福島正則の弟)によって建てられたものだそうだ。小さな軽バンで訪れた年配のご夫婦も熱心に案内板をご覧になっていた。

 さて、宇陀からは道の駅からまっすぐに伸びるR166を進む。

 菟田野(うだの)という地名が見えてきたら県道218号線へ。3桁県道だとみくびることなかれ。

 よけいなカーブがほとんどなく、信号もないのでなかなかの快走路。やがて伊勢本街道であるR369にぶつかるので、そこをまさに伊勢に向けて走っていく。

(つづく)

*1:有名な城趾もあるのでしかたがない

*2:奈良南高校に名前が変わったの知らなかった