rider notes

BC-ZR750C乗りの残しておきたいログ

宿場町|3.関宿

 R163は往復2車線でそれなりに交通量もあり、道沿いはすっかり山間の田舎道。どこにでもある風情の道だが、さっきまでの三重県道28号線とはまるで違う安心感。

 しかし、残念ながら安心して田舎道を堪能できるR163はちょっとだけ。再び魔の三重県道28号線に入る角にあったGSで給油して、そこからはまた憂鬱な気分で三重県道28号線へ。

 と思ったら魔ではなく快走路。今までのはなんだったんだ。

 その後、県道10号線に入って名国の関ICを越え、関西本線の下をくぐってR1を左へ。道の駅 関宿を越えてすぐにあった「関宿駐車場 信号右へ」の案内板どおりに道なりに進んだら、もう宿場町の風情。ヘルメットの中で「おー」と思わず声が出てしまった。

 なにやらでかいお堂を曲がって、

 小さい案内看板のとおりに進んだら、真正面が広い駐車場。入り口で係のおじちゃんが丁寧に会釈してくれる。足湯(無料)の前にビッグスクーターが2台止まっていたのでその横に到着。

 歩く支度をしていたら、ビッグスクーターの二人が町めぐりから戻ってきたのだろう、バイクのところでパシャパシャ写真を自撮りし始めたので声をかけて撮ってあげた。いい人だな、俺。

スマホで写真を確かめてキャーキャー言ってるお二人

 さて、まずは腹ごしらえだと勇んで会津屋さんに向かったところ、本日は定休日。

嗚呼、無情

 無念だが本日も昼めしは省略決定。

 気を取り直して、ビビるくらい観光客がいない関宿の通りをのんびりと散策。

 関宿は東海道五十三次の47番目の宿場。東は伊勢別街道、西は大和街道との追分(分岐)という立地条件から、江戸時代には多くの人々で賑わったという。1980年から町並みの保存運動が始まり、1984年に三重県では初の重要伝統的建造物群保存地区に指定された。現在では東西1.8Kmにも渡って往時の家並みがほぼ残っている。

左:高札場。すぐ後ろは郵便局
右:深川屋さん。「関の戸」は350年前から続く銘菓

 深川屋さんの斜め前にあったのは、旅籠玉屋歴史資料館。

 「関で泊まるなら玉屋か鶴屋」と謳われたほどの大旅籠だ。歌川広重の「東海道五十三次」でも「旅籠屋見世ノ図」として描かれている。(たぶん)

Seki Gyosho Tokaido

 「最大で200人を泊めることができたんですよ」という受付のおばちゃんに入館料を支払って、しばしタイムトリップ。

 敷地を奥にぐんぐん進むと蔵発見。ここも資料館になっていて、2階には歌川広重の「東海道五十三次」の本物(おばちゃん談)が飾られていた。(撮影は禁止)

 大小いくつもの部屋を見て回っていると、本当に泊まっていた人たちの気配も感じられるようでよかった。ただ、「蚤よけの方法」として、当時の旅人たちが宿でどれだけ蚤に悩まされていたか、みたいな掲示物を読んだら、あんまり羨ましいとは思えなかったな。

玉屋と並び称された鶴屋。家屋だけは残っている。

 鶴屋さんの前にあったのは、関まちなみ資料館。

 「ここは庶民が暮らしていた町家なので特別なものは何もないよ」という但し書きの案内板が出ていたが、

 一般庶民はこんなお家には住めないだろうと思うほど立派なお宅だった。

銀行も町家風

 すれ違った観光客は(正確に数えたわけではないが)10人ほどだったので駐車場に帰り、四郎号と一緒に宿場の通りに戻って記念撮影。

 こんなことができるのも平日だからだなぁ。週末じゃ難しいかも。平日バンザイ。(昼めしは除く)

 目的を達成したところで、まだ日は高いのだが帰路につくこととする。行きはスルーした道の駅 関宿で支度を整える。

 駐車場はまずまず埋まっていた。R1沿いだし、別に観光じゃなくても地理的に立ち寄りやすいんだろうな。

 さて。

 帰りはどの道を通ろうかなぁと思ってツーリングマップルで主だった道を目で辿ってみたのだが、めんどくさくなったので名国から西名阪道経由で帰ることとする。やっぱりな、俺。

 名国から高速に乗れば迷うことは一切ないのだが、唯一の気がかりは、

 決して飛ばすまいと固く心に誓ってのんびり走る。案の定、覆面パトカーに2台ほどとっ捕まっていた。

 ミラーをいつもよりしっかりチェックしつつ最寄りのSAまでノンストップ。

 すっかり日が長くなった。行動できる時間が伸びて嬉しいなぁ。

(おしまい)