RIDER NOTES

BC-ZR750C乗りの残しておきたいログ

信州|2. 八ヶ岳高原ライン~メルヘン街道

道の駅 こぶちさわ

 どんよりした八ヶ岳方面を見ながら、僕と四郎号は県道17号線を小淵沢まで快調に進み、三叉路を右に折れて県道11号線へ。そこは、「八ヶ岳高原ライン」というなんともワクワク感をそそるネーミングの道。

 八ヶ岳高原ラインは、その名のとおり八ヶ岳に向かって一直線! といった感じの快走路。ところが、正面にはっきりくっきりと見えてくるはずの八ヶ岳(らしき山々)の姿は、ど~~~んよりとした雲でまるで見えず…。

 看板を見ると道の駅 こぶちさわがあるとのことなので、止まるつもりもなかったけど、情報収集のために一旦休止することに。

 広くキレイに整備された駐車場には車が満パン。後ろにキャンプ道具をごっちゃり積んだツーリングバイクも5~6台止まっている。道の駅の入口横に四郎号を大名付けした僕は早速中へ。

 とはいうものの、中はお土産物コーナーと軽食コーナーしかなかった。僕としてはフリーのPCでもあって、地元の情報を検索できたりするんかなーとか勝手に思ってたんやけど、そんなに甘くはないか。とっとと退散することに。

 ツーリングマップルによると、「タンデムに最適」と書かれていて、途中でいくつもの牧場の中を突っ切るように走る八ヶ岳高原ラインを進むと、路面の轍には水がたまってる。いわゆる、「1時間前まで雨降ってました」なウェット状態。

 これをラッキーと喜ぶべきか、「おいおい。こんなんでこの先、大丈夫なんかいな」と憂うべきなのかは個人の考え方によるとは思うのだが、僕は生来の楽天家。

「ま、なんとかなるか」

 と、どちらでもない考えが頭をよぎったことは言うまでもない。

 長坂あたりを越えると、八ヶ岳高原ラインはぐんぐんと標高を上げていく。そのうち、「標高1000m」「標高1100m」「標高1200m」「標高1300m」「標高1400m」と等間隔で現れる看板も、ついに天女山のあたりで、看板としては最高の1437mを発見。

 清里界隈でもソフトクリームが有名な清泉寮だが、残念ながら「男の中の男」である僕には、どう考えてもソフトクリームへの興味が沸いてこないため、清泉寮はパスすることに。そのまま清里の駅を迂回し、昔の「佐久往還」、現代の佐久甲州街道であるR141へとスイッチ。

 このR141は清里からJR小海線とほぼ並行して南北に走る国道である。そして、清里駅から野辺山駅のちょうど中間あたりが日本鉄道最高地点にあたることは、特に関東のライダーにはとっても有名。別に僕は「鉄ちゃん」ではないのだが、今回はこのホームページを始めて初の通過なので、関西を中心とした全国4000万人とも言われるbar梵ファンにも見ていただこうという私の配慮である。

信州入國

 やがて注意して道を走っていると、「JR鉄道最高地点コッチ→」の看板が見えるので、看板にしたがって進むと、そこにはでっかい標柱。ここに来たのは何年ぶりやろか。四郎号を標柱の前でどどーんと置いて写真をぱしゃりと撮っていると、年配のご夫婦が隣にあったレストランから出てこられて、仲睦まじく代わりばんこに標柱の隣に立って写真を撮っていたので、声をかけてお二人で仲良く写真を撮ってあげることにした。真の男とは、細かい心配りができるものなのだ。参考にされたい。

 すると、ご主人が四郎号のナンバーをご覧になり「大阪からですか?」と驚きながらも尋ねてこられたので、男の中の男である僕は彼の新鮮な驚きと、ご夫婦のこれからの、「あの若者は大阪からわざわざここに来たんだねぇ。ここ(鉄道最高地点)はそれほどすばらしい場所なんだね」「ええ。きっとそうなのね」という喜びの会話を思うと、「いや。元は大阪ですけど今は横浜に単身住んでますねん。せやから今日は横浜から来てまんねん」と無下に真実を語るのも憚られたので、「はい。いや~、わざわざここまで来た甲斐がありましたよ~」 と額の汗を拭うように殊更大げさに答えてあげた。するとにっこりと喜んでくれたご主人が、「じゃ、せっかくですから、私が写真を撮ってあげましょう」と言ってくださったので、僕は喜んでご好意に甘えることにした。

 お二人とは笑顔でお別れ。もう二度と彼らに会うこともないだろうが、彼のようにジェントルなナイスミドルになりたいものだと、男の中の男である僕は思ったのであった。

 野辺山駅の辺りを越えると、見えてきたのは滝沢牧場の小さな看板。ちょっくら寄ってみることに。ま、結論から言えば、「観光牧場」みたいなところで、今はまだシーズンではないからか駐車場に止まっている車もちらほら。高いところに据えられたスピーカーからは古さすら感じるカントリーミュージックが延々と流れてました。

八ヶ岳とは反対側にある瑞牆山金峰山方面。こちらはまだ雲はあるもの、多少はマシっぽい)

 再びR141に戻り、海ノ口界隈に入って千曲川と並行しているまでは道も少し標高を上げたくらいで比較的平坦。交通量もさほどでもなく、片側1車線しかないものの、結構スムーズに流れる。

松原湖高原道路

 やがて小海の手前で松原湖入口という交差点が見えてきたので、ここでその道へ左折。そこからはぐんぐんと上り坂になっていって、あれよあれよという間に高原ムード満点の道に。何しろ、そこは「松原湖高原道路」という名前。

 道の両側には白樺林もすっかり多くなってきて、まさに高原ムードが徐々に高まってくるって感じダー!!! おまけに前にも後ろにも一台の車もおらーん! ひゃっほ~い! 路面は相変わらずウェットだけど。

メルヘン街道(麦草峠

 そうこうしているうちに、いよいよ今回のツーリングのメインイベントの序章にあたるメルヘン街道(R299)との合流地点に。 松原湖高原ラインから合流すると、R299は途端に狭くて暗いヘアピンカーブの連続。道の両側に迫ってくる緑の木々に覆い被さられるような暗く湿った空気を切り裂くように進むと、短距離のうちにまたまたぐんぐん標高をあげていくのである。

 今度は先ほどの八ヶ岳高原ラインとはレベルの違う標高を示す看板が次々と現れてくる。

「標高1600m」「標高1700m」「標高1800m」

 まだまだ~

「標高1900m」

 そして、「ええかげん、どこまで上っていったらええねん」と薄れる空気に薄れる意識の中で思っているところへ、出ました「標高2000m」の看板!(もちろん断っておくが、私は男の中の男。空気が薄れ、意識も薄れていこうが、ハンドルを操る私のテクニックにブレがあろうはずがないので、ご心配はないようにされたい)

 そして、いよいよ見えてきたのが、麦草峠(標高2127m)の看板!

キタ━━━━ヽ(´д`*)ノ━━━━!!!!

 ここは確か、志賀草津道路にある渋峠にわずか数十m及ばない、国道としては日本2位の標高を誇る峠ナノダ。今これを書きながらウィキってみると正しかったので間違いはない。そこから今度は、ぐねんぐねんのヘアピンカーブを繰り返して少しずつ標高を下げていく番だ。

 先ほど標高が上がって空気が薄くなってきて、意識も薄れてくるものの、僕のテクニックに曇りはないというようなことを書いたと思うのだが、本当のことを言うと、寒くて寒くてしゃーなかったノダ。意識を失っているどころではなかったのである。

 路面のウェット感は少しずつとれていっているものの、やっぱりちょっとは黒く濡れているに変わりはない。それもまた寒さを助長しているようにも思える。振り返ってみれば、新府城址でひーひー言いながら汗だくになって階段を登っていたのが、いつ頃のことだったのでしょうかと思わず謙虚な言い方になってしまうほど遠い記憶に思えてくる。

 実はTシャツにメッシュジャケットという軽装で出発しようとしていた今朝、家を出る直前に、念のために……と思い、目の前にあった薄い長袖を一枚だけ手にしてバイクの後ろに積んだ荷物の隅っこに一緒に載せたわけだが、もちろんその一枚をすでに着込んでいるにもかかわらず、もう寒くて寒くて涙がちょちょ切れちゃうだって女の子だもん。

 それにしてもメルヘン街道はやっぱりメルヘンだ。 R152にスイッチして白樺湖に向けて進む道沿い(ここもメルヘン街道)には、次々に「○○山荘」「△△別邸」なる木で作られた看板があって、その奥にはご立派なウッドハウスが鎮座まします。

 どうやればこんなところに別荘なんぞを持つことができるようになるのであろうか。しかし、私はツーリングを楽しむヒマはあるが、そのような妄想を抱くほどヒマではない。せいぜいできることといえば、四郎号を道端に止めて、白樺林の向こうにわずかに見えるウッドハウスと一緒に記念撮影をするくらいである。

 やがてR152が白樺湖にかかるところで、「←ビーナスライン」の看板。 ビーナスラインに入ってすぐに目の前にそびえる車山高原(スキー場)を望む道の脇に廃屋と化した元レストランのようなところがあったので、僕は四郎号をそこに滑り込ませ、もうシャレにならんとばかりに持参したカッパを上下に着込み、防寒とすることにした。

 そして僕と愛機・四郎号は、いよいよ本日のメインイベントである、ビーナスラインへと走り出した。振り返れば、メルヘン街道の向こうには、ビーナスが横たわって待っていてくれたのである。

(つづく)