rider notes

BC-ZR750C乗りの残しておきたいログ

飛騨|4.白川郷

白川郷

 マップルを見るとICを下りてすぐに道の駅があるようだったので、まずはそこで情報収集。売店のおねえちゃんの懇切丁寧なご指導のおかげで道も場所もわかったので出発。こんな細いくねくねの道をぐいぐい上がって行くと、

 5分もかからず上ったそこは無料の展望台とお休み処のある広い駐車場。

 ツーリングに出ると思いがけないスケールの自然が突然目の前に現れて思わず絶句してしまい涙が出そうになるのだが、今回は久しぶりにそういう景色に出会えた。

 展望台のおにいちゃん曰く「これだけ晴れるのも珍しいですよ」とのこと。

先輩「日ごろの行いやな」
bar「そ、そですね」
先輩「ちゃんと仕事して、ちゃんと後輩をかわいがって」
bar「かわいがられた記憶はあんまり……」

 そこから見える白川郷に入っていこうということで展望台から下りていき、合掌造りの立ち並ぶ町並をバイクでゆっくりと散策。

 どっかでバイクを止めてゆっくり見ようということになり、川向こうの広い駐車場に止めた僕たちは、吊り橋を渡って集落へ。

 天気がいいこともあるのだが、それにしても観光客の数がハンパない。日本三景とか伊勢神宮とか、ここ白川郷なんかの世界遺産級になると、曜日にカンケーなく観光客が来るんやなー......と再認識した始末だ。

 ところで合掌造りについては先輩が意外にも造詣が深い。先輩の家もかなりの旧家でそれはそれは古くてだだっ広い家に住んでいて、敷地が全部で300坪。そのうち90坪ほどの家に住んでおり、あとは自家菜園で農作業に勤しんでいるくらいなのだ。なので茅葺についてもアレコレと話をしてくれるので、僕にとっては観光ガイドである。(てへへ)

(用水路の中にアマゴ)

合掌造り民家園

 その後、集落の横にあった「合掌造り民家園」へ(入場料500円)。

 ここでは白川郷とその近隣集落の歴史についても紹介されていて、昭和42年に岐阜と富山の県境にあった加須良(かすら)と桂(かつら)の集落が集団離村によって消滅することになり、その地の合掌造りの家々や水車などの建物を一部移築したのがこの民家園なのだそうだ(集団離村は、積雪によって『陸の孤島』になることによる)。そういう経緯を知ったりすると、単に「キレイ♪」だけじゃ済まないというか、ただウカレてるだけじゃダメなんやろな......って気になる。

 ぼちぼち昼飯食っとこうという時間になり、朝から3度もバイキングをおかわりして腹ぱんぱんの先輩を説得し、かねて先輩がこのツーリングの3大モットーに掲げていた「温泉」「肉」「蕎麦」のうち、唯一達成していなかった蕎麦を食することに。

(十割? というくらい濃い味わいの蕎麦)

(でっかいさるぼぼ)

(帰ってきたらバイクがえらく増えてました)

 帰りの時間を考えたら、そろそろ帰路につかねばならん。山に囲まれた初夏の飛騨を満喫したツーリングも、名残惜しいがここでおしまい。

 帰り道は東海北陸道を南下して高山~郡上八幡を経由して帰るのではなく、ここは先輩の「行きとおんなじ道はヤだ」という意見にしたがい、な、なんと、東海北陸道を北上して富山県に入り、そこで北陸道にスイッチして石川県→福井県滋賀県名神に入って京都、そこで京滋バイパス第二京阪~阪和道で帰るという壮大なルートになってしまった。

 北陸道のSAで休みまくりながら帰ったのでそれほどの疲れは感じなかったのだが、いいかげん京滋バイパスから第二京阪に入ったころにはさすがにバテ気味。第二京阪京田辺PAで最後の休憩をしたところで7時前。

 ここらで一発、愛する奥様にメールでも入れておこうと現在位置と帰宅予想時間を送ると、帰ってきたメールが、

「残り気を付けてね! あ、そうそう。晩ごはん食べてきてな!

 先輩は阪和道の八尾界隈で下り、そこで自然解散。あとは孤独なランだ。すっかり暗くなった阪和道をひたすら南下し、愛する奥様の指令通り晩メシを済ませるべく岸和田SAで最後の休憩。おいしくもなんともないカツカレーを食ってから、それでも山の国と呼ぶにふさわしい山々の壮大な景色を思い浮かべつつ、ラストをかっ飛ばして帰ったのである。

後日談

 普段はクールな先輩が会社で、

「こないだbarとツーリングに行ったんやけどなぁ。いやぁ、それはそれは、何もかもがサイコーやった!」

 とのたわまってたそうな。接待した甲斐があったよ!

(おしまい)