RIDER NOTES

BC-ZR750C乗りの残しておきたいログ

信州|7.妻籠・馬籠

寝覚の床

 下界で県道20号線に戻り、さっき立ち寄った道の駅・三岳も通り過ぎて再びR19へ。

 ボクの過去の記憶でも今回でも、とにかくR19は、トラックか、そうじゃなければ観光バスの後ろしか走ったことがないんじゃないかというほど、とにかく「でかい車が多い道」なのである。まぁ交通量は多いものの、そこそこ流れるからまだいいんだけどね。

 R19の上松(あげまつ)というところに入るとあるのが、寝覚ノ床。

kiso-hinoki.jp

 R19沿いにある「バイクの方は200円を料金箱に入れてください」と書いてあるだけの無人の駐車場に四郎号を入れ(ちゃんと200円も入れましたよ)、いざ行かん! R19を走っててここを素通りするのもどうかと思っただけですが(笑) 横断歩道を渡ったらすぐにある入り口で見学料(200円だっけ?)を払って進む。

 ここ寝覚ノ床には浦島太郎の伝説があって、竜宮城から戻った浦島太郎が、辺り一帯がすっかり変わってしまっていることを悲観して旅に出、その途中にここにたどり着いて玉手箱を開けたら白髪の老人に。今までの竜宮城での楽しかったできごとがまるで夢だったように思われ、目が覚めたように感じた、とのこと。この話からここを「寝覚め」、岩が床(とこ)のようであったので、「寝覚ノ床」と呼ぶようになったとか。かつては急流だったのだが、昭和43年に上流にダムができて水位が下がって岩が水面上に出るようになったそうだ。

寿命そば 越前屋と食堂中村

 その岩まで下りてしばらくほっこりした後、R19に戻ってふと見ると、お蕎麦屋さん。

 この越前屋さんは、な、なんと創業が寛永元(1624)年というから約390年前!「縁がある歴史の人物」として、松尾芭蕉喜多川歌麿十返舎一九井伊直弼の名前も。(ほんまかいな)

www.echizenya-soba.jp

 「寿命そば」という名前は、寝覚ノ床にある伝説の人物・浦島太郎が長寿だったところからついたとか。現在のご主人は15代目。お店は昔ながらのお蕎麦屋さんで、飾ったところは皆無。とても落ち着いた雰囲気だった。

 おしながきから山菜そばを注文。昨日は飛騨牛を食べたからね。木曽に来てそばを食わないというのもイケてない。

 素朴な味。たぶん昔から変わらない味なんだろうな。

 お店から出て、さぁぼちぼち今夜をどこで過ごすか探さなきゃ…と思ってふと見ると、「五平餅」の看板が。食堂中村である。

r.gnavi.co.jp

 暖簾をくぐると、誰もない店内。呼ぶと中から奥さんが。

bar「五平餅だけでもいいですか?」
奥さん「どうぞどうぞ。いくつしましょか? 一本からできますよ」

 メニューを見ると3本560円とあったので3本を注文。少し待ってると五平餅登場。

 五平餅というと、うるち米を棒に付けてみそ味がついてる…くらいの印象しかなかったんだけど、ほくほくしながらひと口食ってみたら、なんじゃこりゃ……なんでこんなにウマいんや……。メニューをふと見ると、「お土産5本1000円、10本2000円」とあったので、

bar 「10本、お土産にしてくださいっ!!!」

 宅急便代は600円くらいで送ってもらえるとのことだったので、お願いすることに。これでようやくお土産1個ゲット。あとでツーリングマップルを見たら、「素朴は五平餅がお勧め。土産にもできる」とのコメントが書かれてあった(笑) 飛騨牛、木曽の蕎麦、そして五平餅。とりあえず最低限押さえておくべき食べ物は制覇か。

まだ時間は3時半過ぎだったのだが、駐車場に戻ってみるとなんだか夕方みたいに陽射しが斜めに。

 ここで思い出した。

「キャンプしたら、あの湿りまくったシュラフで寝ることになる……」

妻籠宿

 ツーリングマップルを見ると、R19を30Kmくらい南下したところに妻籠がある。ここは得意の「素泊まりでいいんで泊まれるところないですか?」作戦でいくとするか。トラックの後ろになってR19を走り、小1時間ほどで妻籠に到着。

 よく見たら夕方4時以降は車両乗り入れができるので、そのまま宿場に突入して観光案内所に直行。

bar「すみません。どっか泊まれるところはありますか?」
お姉さん「今からですか? 昨日まで連休だったんで、ほとんどのお宿はお休みしてるんです…」
bar「ですよねー」
お姉さん「ここから中津川の方に向かったら馬籠がありますから、そこならひょっとしたらお宿が…」

 こうなったら馬籠に行ってみて、そこで宿がなければしっとりシュラフで今晩を過ごそう! と腹をくくる。

馬籠宿

 R19を木曽川に沿って進み、「馬籠コッチ」の看板にしたがって進むと県道7号線に入る。この県道7号線は旧中山道でもある歴史のある道。途中にある馬籠峠を今はとりあえずサクッと越え、馬籠宿へ。着いた頃には、もうすっかり5時過ぎの夕暮れどき。

 夕暮れの馬籠宿を楽しみたいところではあるけど、こちらも夕方4時以降は車両乗り入れ可ということだったので、まずは中間地点にある観光案内所へ。

bar「すみませんっ!! 今からなんですけど、泊まれるところありますか?!」
お姉さん「えっ。今から?!」

 やはりここでも無理か…

bar「そう。素泊まりでOKです」
お姉さん「そしたら、すぐそこにある馬籠茶屋さんっていうところに聞いてみて。そこならイケるかも」

magomechaya.com

 マジで?

 すぐさまボクは四郎号に乗って、

 まずは記念写真をば一枚。とか撮ってる場合じゃない。

 すぐさま『馬籠茶屋』へ行ってみると、なんだかやたらと外人さんばかりがうろうろ。宿の向かいにも『お食事処・馬籠茶屋』があって、そこからは外人さんたちが高らかな談笑する声で、「オーノー!」とか言ってる。その奥からご主人。

bar「すみません。今晩お部屋空いてませんか?」
ご主人「空いてますよ」
bar「一人なんですけど、いくらですか?」
ご主人「5250円になります」

 見事成立! これで湿ったシュラフで寝なくて済んだ!

ご主人「バイクは宿の裏側に置けます。あと、食べ物はこの坂の一番下にコンビニがあるけど、6時半になったら閉まっちゃうから先に行っといた方がいいですよ」

 6時半に閉まるコンビニ?! と思いつつ、四郎号と一緒に馬籠のすんげー坂を下ったところにあったのは、ただの個人商店でした。3時とかに蕎麦と五平餅を食っちゃったんでぜ~んぜんおなかが空いてなかったから、明日の朝用に賞味期限切れ寸前で値引きになってたパン2つと、牛乳。あとは今晩用にポテチとコーヒーをゲットして宿の駐車場に向かおうとしたら、坂下にあった広い駐車場からは薄暮の恵那山。

 しばし一服… (´ー`)y-~~

 とかしてる場合ではない。あまりの疲れに早く部屋でごろんとしたいのだ。馬籠宿の裏通りを再び上って宿の裏手にある駐車場に四郎号を置き、そそくさと荷物をおろしていると、おっさん外人とおばさん日本人のカップルが。

おっさん外人「ヘイ! バイクに乗ってるなんてイカしてるやないか!」
bar「あ、そう? ありがとね。バイクに乗ってんの?」
おっさん外人「オーストラリアにいた時には乗ってたんやで! また買いたいわ!!」
bar「ホンマかいな! バイクはええで~。また買いなはれ!」
おっさん外人「そうしよっかなー」
おばちゃん「こら。何を言うてんのよ!」

 ちなみにすべて会話は英語です。そして相手の言っていた内容は、すべて推測です。そして、そんなこんなで、うようよいる外人さんたちの合間をかいくぐって案内された部屋へ。

 6畳の手狭な部屋だが、一人なら十分。窓を開けてみると、さっき下の駐車場でもキレイに見えた恵那山のシルエットがまだ見えるし。ご主人からお風呂やトイレ、チェックアウトのことなんかを簡単に聞いたら、とりあえず(´∀`)マタ~リ しかし壁が薄いのか、二つ隣の部屋で高らかに楽しげに喋る外人さんたちの声が丸聞こえ。廊下でも遠慮なく喋る外人さんたちの声が丸聞こえ。

 それにしても、なんで外人さんばっかりなんだ?! なんて考えて部屋に引きこもっててもしかたがない。せっかくだし夕暮れドキの馬籠宿でも味わおっかな。

 こちら馬籠も3連休の余韻からかどこかマタ~リとした雰囲気漂う、いい雰囲気。

 馬籠宿は中山道43番目、木曽11宿の最南端に位置する宿場町。狭い石畳の坂道を挟んで50軒ほどのお土産物屋さんや宿が軒を連ね、馬籠峠を挟んで信州側にある妻籠とならび、「木曽路」を代表する一大観光地である。

 江戸時代は中山道の宿場町として栄えたものの、明治時代に入ると鉄道交通網が整えられてきたこともあって徐々に衰退。そのまま「陸の孤島化」していた妻籠と馬籠が脚光を浴び始めたのが高度経済成長期。爆発的に観光客が増え始めると、それを受け入れるための宿や食事処、土産物屋が出始めて少しずつ観光地として整備されてきた。1978(昭和53)年からは道沿いの電信柱が撤去されるなど、観光協会を中心として住民の方々の努力によって保たれてきたのが馬籠なのである。

 暗くもなってきたので宿を中心にして少し散策しただけで宿に戻り、ロビーで一服していると、次から次へとたくさんの外人さんが行ったり来たりしてる。すると、さっき裏の駐車場でボクに話しかけてきた陽気なオーストラリア人おじさんがボクを見つけた。

おっさん「ヘイ! さっきのライダーやんか! こんなところで何してんねん! 一緒に向かいの店で飲もうぜ!」
bar「は? 俺はええわ~」
おっさん「なんだいベイベー。そんなこと言うなよ! といいつつオレも酔ってきちゃったぜ!」
bar「ほなさっさと風呂入って寝たらええがな」
おっさん「ここはおとなしくそうしとこうかな…ほな、また明日な!」

 たぶん、こういう会話だったと思う。

 しかしなんでこないに外人さんが多いのか、宿の看板を見て納得。

 どうりで飛び込みでも余裕で受け入れてくれたわけだ。外人さんたちにとっても安く布団を提供してくれる宿は貴重だろうなぁ。

 トイレは部屋にはなくて共同だけどとっても清潔だし、風呂も木の香り漂うなかなかいいお湯♪ キャンプ場で湿ったシュラフで寝てたかもしれないことを考えたら夢のような夜である。

 外人さんたちの賑やかな英語での会話をBGMにして、ふかふかの布団を敷いて寝転がり、ツーリングマップルを見ながら明日のルーティング。明日は最終日だからできれば昼過ぎくらいには高速に乗っておきたいところ。朝5時には起床してとっとと会計を済ませたら中津川手前まで走ってR363で岩村まで行って岩村城址へ。岩村からはR257で一旦南下。R418~R153(三州街道)を走り継いで恵那山の周りをぐるりと走ってやろうという魂胆だ。

 恵那山は中央アルプスの最南端に位置する、標高2191mの山。今回のツーリングはほとんどが北アルプス中央部(穂高)~南(乗鞍)、御嶽山を中心に走ったからちょっとズレるんやけど、せっかく目の前に見えるんやし、北だの中央だのとこだわらずに最後の最後までアルプスを満喫しちゃおうという計画。

 ところがどっこい。

 昨夜と同様、9時頃には眠くなるだろうと寝転がっていてもいっこうに眠くならん。ふと気づくと、さっきまであんなに傍若無人に大声で喋ってた外人さんたちの声が急に聞こえなくなった。

 それにしても、なんで寝れないんだ?! おっかしーなー。今朝は5時に起きてほぼ12時間四郎号と走りっぱなしだったから疲れてるハズなんだけど……と何度か起きたりTVをつけてニュースを見たりしてたらあっという間に12時。ようやく眠くなってきて、

「5時起きだから、まだ5時間眠れる!!」

 慌てて電気を消して眠りについたのである。数時間後の惨劇を知ることもなく……Zzzz…..

(つづく)