RIDER NOTES

BC-ZR750C乗りの残しておきたいログ

信州|9.妻籠散策

馬籠宿

 せめてあと3時間は寝ようとセットしたケータイが8時にピロピロと鳴って起床。眠いことは眠いが、起きれないほどではない。目をこすりながら窓を開けてみると、今日も快晴。すぐさま部屋を出ると、廊下や階段にはすっかり出かける用意をした外人さんたちがわんさか。こいつら眠くないんか?! なんだか取り残されたような気すら起こる。

 まずは表へ出て、昨夜の現場をば確認。

 まだ数名の消防士さんたちが水をジャバジャバかけてる。一晩中がんばってくれたんだな。おかげで眠れたよ……と心の中でお礼を言ってから、なにはともあれ坂の上の駐車場に置きっぱなしの四郎号のもとへ。

 ご健在でひと安心。四郎号に乗って宿の裏手にある駐車場へ置き直してから、裏口から宿に入るとご主人と遭遇。

bar「今日って、馬籠の他のお店は営業しはるんですかね?」
ご主人「今日はさすがに無理だと思います。すみません……」

 ホントは5時に起きてそそくさと出発し、恵那山をぐるりと見ちゃおうコースを予定してたけど、今日は予定を変更するしかなさそうだな……。こうなったら馬籠でものんびりと散策でもするか! と思っていたのだが、さすがに昨日の今日なので無理か。

 ご主人もおっしゃっていたが、実は馬籠は山の峰にあたるので水利が悪く、昔から火事には弱かったそうだ。

ご主人「100年くらい前にも大火があったんですよ」

 約100年前の大正4(1915)年に大火があって、その際には70数戸の馬籠の家のほとんどが燃えてしまったそうだ。

ご主人「今回はホントに運がよかったです…」

 マジか。こちらとしては(大変申し訳ないと思いつつも)、100年ぶりなんて出来事に遭遇できたのは嬉しくもあり、複雑な心境。

 まとめた荷物を玄関に置かせてもらい、せっかくなので少しだけ馬籠を散策。馬籠茶屋からすぐ近くの五平餅が食べられる近江屋さんと、その斜め前は馬籠宿の脇本陣資料館。

 馬籠といえば、やっぱり島崎藤村だ。もともと島崎藤村の実家・島崎家は馬籠の本陣や庄屋を代々つとめた名家。代表作『夜明け前』は父を主人公のモデルにしたとも言われ、ここ馬籠が舞台になっていることでも有名。川端康成の『雪国』が「国境の長いトンネルを抜けると~」の出だしで有名なのと同じく、「木曽路はすべて山の中である」という出だしで有名な『夜明け前』は、幕末・維新期の激動の時代を描いている、藤村の晩年の大作といってもいいと思う。康成ほど叙情的ではないので好き嫌いははっきり分かれるかも。

 ちょっと歩いて雰囲気だけを味わったら宿に戻って精算。ご主人は、「夜に迷惑をかけたから半額でいい」と言ってくれたのだが、「それとこれとは違う」と丁重にお断り。ボクとしてはわけのわからない飛び込みのおっさんを泊めてくれただけでもありがたい。

(これが四郎号を置いてた宿の裏手の駐車場。火事の最中は消防車が止まって消火器具を広げていた)

 四郎号に荷物をくくりつけていると、頭上からボクを呼ぶ声が。

「お兄さーん!!!」

 見上げると、2階の窓から顔を覗かせていたのは、例のオーストラリア人の相方である日本人のおばちゃん。

bar「あぁ。おはようございますー」
おばちゃん「おはよう。眠いねぇ」
bar「眠いっすね」
おばちゃん「今日はどうすんの?」
bar「ホントは遠乗りしようと思ってたんですけど。今から妻籠でも行こうかなと」
おばちゃん「どっから来たの~?」
bar「大阪です~。今日はどちらに?」
おばちゃん「わたしらも妻籠に行こうかなと思って。また向こうで会うかもね~」

 朝っぱらからあの不良オーストラリア人に振り回されるのも考えたら……。会わないことを祈るばかりである。

 とかしているうちにオーストラリア人おっさんとおばちゃんも精算を済ませたか、荷物を抱えて宿の裏手から出てきた。

「ヘーイ!!! ボーイ!!! おっはよー!!!」Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒Y⌒(。A。)アヒャヒャヒャヒャ!!

 どこまでテンションの高い。

「聞いたぜベイベー!! ユーもツマゴに行くんだってな! ユーがバイクじゃなかったら一緒に車で行こうって誘うところだけど、ユーはイカレたライダーだからな!!! くれぐれも事故っちゃつまらんぜ、ドンチュノゥ?!」

イカレてねーよ」と呟くボクを置いて車に荷物を積み込んでいた二人は、先に出発した手を振ってくれた。

(キレイに見える恵那山。中央アルプスの最南端に位置する。中央アルプスはまた次のチャンスに)

 実は昔、妻籠は何度か行ったことあるんだけど、馬籠はチラッと覗いたことがあるだけだったんだよね。今回の馬籠はちょっとハプニング続きだったけど、また来るときはゆっくりと散策したいなぁ。

馬籠峠

 出発したのが9時。もうすっかり「朝」は終わっちまった……。ま、しゃーないか。今日はのんびりと過ごすか。

 馬籠からは県道7号線(旧中山道)を再び馬籠峠へ。

 標高は801m。雰囲気としてはけっこういい感じ。保存状態がいい方じゃないかな。

 しかし……眠い。合計したら5時間近くは寝たハズなんだけどな……。そうこうしながら馬籠から15分も走れば妻籠

妻籠宿

 妻籠の保存地区も10時までは車やバイクでも入れる(10~16時は進入禁止)のだが、はじめっから駐車場に四郎号を入れてのんびり散策でもしようという魂胆だ。さすが大観光地だけあって、駐車場はいくつも用意されているのだが、一番近い第一駐車場は観光バス専用になってて、一般車とバイクは第二駐車場へ。バイクなら駐車代は200円。駐車場のおっちゃんが宿場保存地区への行き方を丁寧に教えてくれる。

 妻籠宿は馬籠宿と並び、中山道の宿場町として栄えたものの、明治以降は交通事情の変化にともなって衰退。

 その後、馬籠宿と同様、高度経済成長期に「昔の町並みが残っている」と注目を浴びるようになり徐々に観光客が増加し、1968年からは本格的に町並みの保存運動が展開された結果、1976年、国の重要伝統的建造物群保存地区の最初の選定地の一つとなることができたのだそうだ。

 1971年に制定された住民憲章には、「すべてにおいて保存を優先させるために、妻籠宿と旧中山道沿いの観光資源である建物、屋敷、農耕地、山林を、『売らない』、『貸さない』、『壊さない』の三原則を守ること」とあり、今も守られているのである。

 着いたのは9時半頃だったのだが、やっぱりこういうところというのは早くから観光客がいるものだ。いかにも団体さんとおぼしきおじいおばあ軍団も大声で談笑しながら見てまわっていた。すでに暑いのでもちろん冬ジャケを脱いでTシャツ1枚のボクも、小1時間ほどのんびりと歩いたところで、「五平餅」ののれんを発見。

 そりゃ食うよ~

 今日はもう帰りの高速に乗るまではずっとここでのんびりしようと腹をくくって2往復はしました。

(老夫婦が仲良く歩いてた。あんなふうになりたい)

(昼近くになるとやっぱり増える観光客の群れ)

(大亀石。「往時の雰囲気を満喫できる古民家の民宿」とツーリングマップルに)

 時計を見ると11時半。の~んびりと何往復もしたけど、あの不良オーストラリア人と会わずに済んだのが一番嬉しい。こんなところであったら何に付き合わされるかわかったもんじゃない。

 妻籠から一番近い中央道の中津川ICまではすぐだ。

 中津川までのR19はバイパス状になっていて、味も素っ気もない道。しかし、アルプスへひかれる後ろ髪を断ち切るにはちょうどよいのかもしれない。

(番外編へつづく)