rider notes

BC-ZR750C乗りの残しておきたいログ

南紀|2.最南端へ

懐かしき思ひ出

 やがておじいちゃんとおばちゃん3人組があがっていき、滋賀のご夫婦が岐阜の老夫婦を本宮大社まで車で送ってあげるという心温まる交流を笑顔で見送り、世話好きのただの近所のおっさんも帰っていき、僕は最後まで粘る。ってゆーか、水を混ぜすぎてあんまりあったまってなかったような気がしたからだ。とはいえ、おそらくかれこれ1時間は入ってるとみた。ここだけで1日過ごすのもどーかと思い立ち、僕も出ることにした。

 出た途端は「さぶっ」。つまり、あんましぬくもってなかったかなーと思うくらいなんやけど、不思議なことにだんだんと体の中からあったかくなってきて、全身を拭き終わる頃にはもうぽっかぽか! おそるべし川湯温泉。これでしばらく防寒対策にばっちりだ。

 着替え終わってすっかりぽかぽかでぐで~んとなった僕は、荷物をくくりに四郎号へ。そこで思い出す。

 そういえば、昔スコップを貸してくれたホテルの名前は確か富士ホテルとかなんとか。 すると、仙人風呂の前にありました。名前を見ると「富士屋ホテル」。な~んとなく覚えてますよぉ、この外観。ホテルの前には玄関を掃き掃除する若い職員の方。

 その昔、河原を掘り返そうとしたのがいつの季節だったかは記憶が曖昧なのだが、それでも見ず知らずのお兄ちゃんに気前よくスコップを貸してくれたおばちゃんはご健在だろうか。しかし、いきなり訪ねていくのもあまりに不躾。僕は心の中で改めてお礼を告げて立ち去ることにした。

 先ほどの仙人風呂のおっさん曰く、「冬以外の季節に河原を掘って温泉にしようとするなら、スコップは言えば気前よく貸してくれる」らしい。元々旅人を快く受けいれるという文化があるのだろう。考えてみれば、ここ本宮は由緒ある古い温泉街。昔から温泉客をもてなすということにはDNA的に受け継がれているに違いない。

R168

 さて。 荷物も片付け、いつでも出発できる状態になったところで問題点は一つ。 ここからどこに向かうか、である。要するにここ仙人風呂に来ること以外は何も決めていない。時刻はちょうどお昼の12時(ということは仙人風呂にはなんだかんだで2時間近くいた計算になる)。とりあえず本宮に行くか......と思い、川湯温泉からR311に戻ってR168にスイッチ。

 と思ったら、R168沿いの広大な河原と熊野川とそのすぐそばから見える爽竣な熊野の山々の緑と青空が目に入った途端、こりゃR168を走らんともったいない。

 関西のライダーならすでにみなさんご存じのはずだが、本宮から南の新宮までのR168は熊野川をトレースするように緩やかなカーブがひたすら続く広い快走路! ちなみに吉野から十津川、本宮までは山間部を走る気持ちのいい道なのだが、開放感からいえば断トツで本宮以南である。川湯温泉のおかげで、ほとんど車のいないR168をすぱ~んと走るとそこは新宮市。すると観光用の看板には「←熊野速玉大社」。

 むむ。確かこの神社は、熊野本宮大社那智大社と並ぶ「熊野三山」と呼ばれる、日本屈指の大社だったはず。おまけに僕の記憶が正しければ、この熊野速玉大社ができたことで、ここが「新宮」と呼ばれるようになったはず。

 というわけで、市内でR42とぶつかるので青看板にしたがって左折すると、そこはもう新宮市街地。でも今までR311、仙人風呂、R168の「快走」「まったり」「快走」とゼイタクな時間を過ごした後だけに、少々の市街地走行もぜ~んぜん気にならない。

浮島の森

 いくら地方都市とはいえ、新宮市は人口3万を抱えるだけに車の量もほどほどに多い。まったりと進んでいると、「浮島の森」というなんともメルヘンチックなような現実的なような、あまり観光地っぽくなさそうな名前が観光看板に見えた。

 速玉大社の前に寄ってみることとする。細い市街地路を幾度か曲がりながら進むと、軽い公園のようになった一角。そこが「浮島の森」だった。

「浮島の森」は、沼に浮かんだ面積5000平方メートルの小さい島。ほんまに浮かんでんかよ~?? って感じだが、浮かんでるといえば浮かんでる。そうでないといえばそうでない。結論としてはよくわからない。

 受付小屋で気のよさそうなおばあちゃんに100円を払ってパンフをもらって、いざ出陣。まずはぐるっと半周を周回。その後、おばちゃんの、「今は島の中の順路は工事中やから、入っていってもあきませんよぉ」という忠告を無視して島の中に潜入。かといって別段植物に詳しいわけでもなく、ただ鬱蒼としたホンマの森の中に遊歩道があるだけ。看板によると、温帯植物から寒帯植物までが混在しているそうな。

 結局遊歩道は途中でバリケードに寄って進軍不可能(そりゃそうだ)。結局元来た島の周回路に戻って、結局残りの半周をぐるっと見ただけで終わっちゃった。

 受付に戻ったところでおばあちゃんにご挨拶。お茶を一杯ごちそうになりながら、熊野速玉大社への道を教えてもらって出発!

熊野神社の本宮

「浮島の森」からR42を3分ほど走ったところにある熊野速玉大社は、熊野三山の一つであり、全国数千とも言われる熊野神社総本宮。「総本宮」だったら熊野本宮大社になるんちゃうの? という素朴な疑問がわかなくもないのだが、「熊野神社の本宮」は熊野本宮大社じゃなくて、こっち(熊野速玉大社)なのだそうだ。

 四郎号を止めて参道を進むと、見えてきました、見事な眩しいばかりの朱塗りの本殿。でも訪れている人は、僕の他にはおばちゃんトリオだけ。やっぱり知名度から言うと、新宮市の方々には申し訳ないけど、熊野本宮や那智大社に比べるとちょっと負けてるんかな。

 それにしても、熊野本宮大社が黒塗りっぽいイメージなのに対して、こちら熊野速玉大社はほんまに神社らしいカラーリング。僕としては「神社」とくればなんとなくステレオタイプとして「朱塗り」を思い浮かべてしまう。

 いつものように古式ゆかしく二礼二拍一礼でお参りを済ませて四郎号の元へ。新宮まで来てしもた以上、あとはR42を潮岬~白浜経由でぐるっと走って帰るぞぉ~。

 実は残る「熊野三山」の一つである那智大社青岸渡寺は、新宮からちょっと南下したところから行けるんやけど、今回はパス。次回のツーリングのお楽しみにとっておくことにする。

橋杭岩

 残るお楽しみはR42沿いにあって半強制的に見える橋杭岩。 伝説によると、沖にある島まで一晩で橋をかけられるかどうか弘法大師と天邪鬼が賭けをすることになった。弘法大師がどんどん大岩を海に立てて行ったので、そのグッジョブぶりに焦った天邪鬼が鶏の鳴きまねをしたところ、弘法大師は朝がきたと勘違いして作業を止めてしまい岩だけが残ったというもの。

 広~い駐車場には車が数台。まぁ平日だしね。団体さんの写真撮影ポイント用のベンチあたりに陣取って、近くのお店から買ったもろもろでエネルギーを補給しながら、まったりとご休憩。

 するとどこからやってきたか、アヤしげなおっさんとわんこちゃん登場。そのおっさん、四郎号をしげしげと眺めてから、

「お兄ちゃん、どっから来たのよ」

 わんこちゃんは人に慣れてると見えて、ひたすら僕に撫でてもらおうとすりすりしてくる。

おっさん「私も9年間かけて、日本全国を放浪してましてねぇ」
barさん「へぇ。そーなんですかー」
おっさん「まぁ結局はホームレスってことなんやけどね」
barさん「ずこっ!」
おっさん「でもここがあんまり気持ちええもんやから、とうとう住み着いてしもたよ」
barさん 「住所不定から脱出できてよかったですね~」
二人 (爆)

 しかし……止まってるとあったかい~。こりゃ気温は10℃以上あるんちゃうか ( ´ー`) と思いつつ、なおもR42を南下して串本町に入ると、国道沿いの電光掲示板には、

「ただ今の気温 11℃」

 昨晩見た天気予報やと、最高気温8℃とかだったんけどな。所詮は天気「予報」か。

潮岬

 橋杭岩から熊野灘を左手に走るとものの数分で串本町市街へ。そこから「←潮岬」が見えたので発作的に左折。潮岬も川湯温泉同様、僕にとっては約20年ぶりやけど、四郎号にとっては初めだったからだ。

 さすがにこの時期だけあって訪れる人もまばら。チェロキーに乗って僕のすぐ後にやってきた若いカップルが一組と、あとはスーツ姿のサラリーマン4人組のみ。さすが本州最南端だけに風はびゅんびゅーんと吹きすさんでるけど、目の前には見渡す限りの水平線。

 ここでちょっと思い出した。

「日本は国土が狭いから広大な地平線がない」みたいなことを言われ、たとえばモンゴルとかの地平線をたたえるような文章を読んだりすることがある。日本だと地平線を見れるのは北海道だけだとかも言われる。けど、日本には水平線があるじゃないか。モンゴルの地平線に勝るとも劣らない水平線。海よりも大地の方が優れているなんて理論はどこにもないのだ。日本人はもっと水平線を誇るべきなんじゃないか。

 という椎名誠氏の文章のことを。

 広い大地も素晴らしいけど、見渡す限りの水平線を見てても、「広さ」を十分に補給できるぞー。

 ここで本日はタイムアップ!  あとは本州でここまで気持ちのいいアップダウンとカーブが連続する国道はないんちゃうかと思えるR42(紀伊半島西海岸部)を爽快且つノンストップで自宅へと爆走し、きっかり午後5時半に帰宅したのだった。

(おしまい)