rider notes

BC-ZR750C乗りの残しておきたいログ

甲斐|御旗楯無もご照覧あれ

切ない目覚め

 朝のうち晴れ。午後からは曇り。

 せっかくの週末だというのに、なんという切ない予報だろうか。おまけに朝6時に目覚ましをセットしたはずなのだが起きたらもう8時。

 どっちにしても明日(日曜)は雨に間違いないようなので、今日のうちにどっか出かけてでもおかないと、また発狂しそうな週末になってしまう。

 今回は、前々から見たかったモノを2点ほど見に行くためだけに、昨年10月の命名許可申請以来の甲斐國(現山梨県)へ向かう。実はそっち方面に行くのはあんまし好きじゃない。というのも相模湖~山梨方面に行くには、激渋滞のR16~R413~R20を走らねばならないからだ。

 案の定、保土ヶ谷バイパスの本線から車やダンプやトラックがてんこ盛り。なんとかR16からR413で相模湖を経由してR20へ。中央高速の相模湖ICを過ぎるまでは、ずーっと渋滞しまくってた。

笹子峠

 上野原あたりからはようやく快走モード。適度なくねくねとアップダウンがいい感じ。そのまま大月市街を越えて笹子川を何度かまたぎながら進むと、見えてきました笹子峠の標識。

 右手直進がR20。旧道はどうやら左手の橋を通っていくらしい。前回来たときはなにも考えてなかったからそのままR20を直進して笹子トンネルに行ってしまったのだが、今日はちょっくら旧道(県道212号)で笹子峠を越えてみようか。すぐ近くにコンビニがあったので、軽食を買って峠で景色を眺めながら、少し早めの昼メシとシャレこむことにしよう。

 初めての笹子峠旧道越えだが、橋を通ってその先を進むとぐんぐん上り坂。道はそのうち木立に覆われ、ワインディングをしつこく繰り返しながら、ひたすらぐんぐん標高を上げていく。

 というか、車はおろか、人っ子一人、いないのだが、まぁそのほうが気楽なのだが。

 路面は旧道ということで、強烈なガタガタも覚悟してたが、それほどでもない様子。時折、落石注意の看板と「漬物に使えるんじゃねーか」と思えるほどの石がごろごろ転がってるくらいで、それに注意すれば大丈夫。

 人も車もいないので、時々気兼ねなく止まっては空を見上げて見ると、ほんまに昼過ぎから曇るんかいな、というくらいの快晴。

 でも甲斐は山の国。おまけに標高が上がれば(笹子峠は標高1000m)気温も下界よりは低いやろ…なんて思ってたら大間違い。確実に17~18℃はあるな。ただ、先日「寒の戻り」があり、山梨では山中湖でも積雪があったらしく、この旧道でも陽の当たらない道端では薄汚れた残雪がこんもり。

 そこからなおもぐんぐんと上がっていくと、見えてきました旧・笹子トンネル。

 正式名称は「笹子随道」。横っちょに立ってた看板によると、昭和13年完成。昭和33年に新笹子トンネル(R20)が完成するまでの20年間、山梨~東京の交通を支えたとのこと。

 でも、この旧道は当時の甲州街道にほぼ沿っているらしいから、今上ってきた感じから想像するに、すんごい難所やったんやろなぁ…

 道幅は車どうしなら離合は不可能。中にはもちろん電灯一つない。なんか懐かしい感じのトンネル。僕はバイクなので向こうから車が来たってかまわんのだが、もちろんのこと対向車ゼロ。そしてトンネルを抜けたところで、うまい具合に東屋風の休憩所発見。

 さっき峠を上る前にコンビニで買ったアメリカンドッグを食いながらコーヒーを飲む。 聞こえてくるのは、ただ鳥の声……。山あいに遠く見えるのは甲府盆地。食ってるアメリカンドッグはうまくとなんともない。ただ、状況は素晴らしい。断続して5台のバイクが僕の来た方からやってきては、次々と下りていった他は、結局1台の車も来なかった。

甲斐大和駅

 トロトロと峠から下ってR20にぶつかったところで、一旦東へ戻るように走る。そこから近いところにあるJR甲斐大和駅に向かう。なぜわざわざ戻るようにR20を走り、駅なんぞに向かうかというと、その甲斐大和駅前には武田勝頼公の銅像があるからである。去年の10月に来たときには、この甲斐大和駅の手前の景徳院(勝頼公らの墓所)までしか来なかったからな。R20から左に逸れてすぐに見えてきたのは、道沿いに並んでる「ふるさと武田勝頼公まつり」の幟。駅前にもおんなじ立て看板。

 これはなんかあるな…と思ったところへ、いがくり坊主頭の男の子とおかっぱ頭の女の子の3人組が仲良くこっちに歩いてくるではないか。と、こちらが話しかけようとすると、

3人組「こんにちはー!!!」

 と先に声をかけられてしまった。なんと礼儀正しいのだろう。日本の未来は明るい。

bar「あ。ちょっとさー」
3人組「なぁに?」
bar「この(看板を指差しながら)お祭りなんやけどさ。いつあるんかな」
3人組「明日!」
bar「明日?!」

 なんてタイミングの悪い。でも明日は雨では……。大丈夫かな。

3人組「そう。あそこの中学校でやるんだよー」

 3人が指差す方を見ると、高台に真新しい学校らしき建物がフェンスに囲まれて見える。

bar「へー。どんなお祭り?」
3人組「うーんとね……。勝頼公祭り!」

 3人ともかわいらしいから許す。

bar「お店とか出たり?」
3人組「出るよー。みんなでいろいろ買って食べるんだー」
bar「そっかー。楽しみやね!」
3人組「うん!!!」
bar「ありがとね!」
3人組「ばいばーい!!」

 ……なんて純朴ないい子たちなんやろ。それにひきかえこの薄汚れたおっさんは…。

 さて、このレポをアップする頃にはもちろんお祭りは終わってるから載せてもしょうがないのだが、一応ネットで情報を収集してみると、

 「武田家最後の武将勝頼公の最期を迎えた地、甲州市(旧大和村)で、武田一族の遺徳を現代に伝えるお祭りです。勝頼公と嫡子信勝、北条夫人を中心に、信勝環甲の礼、出陣の儀など、勝頼公出陣絵巻が披露されます。北条夫人など出陣絵巻の参加者を募集中。このほか甲斐天目山勝頼公太鼓、巫女の舞や歌謡ショーなども行われます」とのこと。毎年やってるんやろうから、地理的に近い方、来年のお祭りには参加者に応募してみてはいかがですか?

 お祭りの謎がとけたところで、駅の向こうにあるちっちゃいロータリーに向かいますと、

 いらっしゃいました、勝頼公。

 ここ甲州市(旧大和村)は武田氏終焉の地として、特に勝頼を重くとらえてくれているみたい。武田家旧家臣の末裔を自負する私としては嬉しい限り。

 なんといっても勝頼といえば、武田氏最後の当主として「武田家を滅亡させた暗君」みたいな言い方をされることが多いから、さっきのチビ3人組みたいに、ちっちゃい頃から「武田勝頼」という名前を聞いてれば、勝頼公にも親近感をもってくれるというものだ。

楯無鎧を求めて

 勝頼公の銅像にご挨拶を済ませた後、再びR20に戻って西へGo。いよいよ今回の目的であるブツを見るために、旧塩山市へ向かうのである。途中、旧甲州街道勝沼宿(県道)を通ってR411にスイッチして北上。途中には「ぶどう狩り」「ぶどう狩り」「ワイン」「ワイン」「ぶどう狩り」「ワイン」「ぶどう狩り」「ワイン」……という看板が道沿いに並びまくっている中を快走。

 まず向かったのは、市役所のすぐ脇にある菅田(かんだ)天神社。

 この菅田天神社には、武田家累代の家宝の一つである小桜韋威鎧兜大袖付が……って読めるかいな!

 これは「こざくらがわおどしよろいかぶとおおそでつき」。俗に「楯無」(たてなし)と呼ばれるいわゆる「よろい」で、甲斐武田家の家宝の一つにして国宝なんである。平安時代、東北の安倍氏を討った源頼義源頼信の子で、八幡太郎義家、賀茂次郎義綱、新羅三郎義光らの父)が「官軍」として、時の天皇から下賜されたのが「御旗」といい、頼義から三男の新羅三郎義光に伝わり、義光の子孫である武田氏に継承されたのだ。

 同族である佐竹氏は「扇に日の丸」を家紋として御旗を伝えており、同じく頼義から新羅三郎に伝わったのが「楯無鎧」とされておりますデス。東北での前九年の役の戦いでは「弓矢」がさけて、楯がいらないかったという故事がある(んなアホな)くらいだ。

 ところが境内には誰もおらず……( ゚Д゚)シーン ま、静かに散策するにはいいのだが……

 っつか、楯無はどこ?

 狭い境内をうろうろとしてみるが、宝物殿らしきところはどこにも見当たらない。このままでは楯無を見ずじまいになってまう… と、ふと本殿の柱を見てみると、「御用の方は職舎のチャイムを押してください」との貼り紙。

 ここはいっちょチャイムを押して「いつまでこっち(魔都)におれるかわかりませんねん!!! 国宝の楯無を見せてくれるまでは帰りまへん!!!!」とゴネるしかない。

 では早速。

ピンポーン。「すいませーん!!!」

( ゚д゚)シーン……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピンポーン。「すいませーんっ!!!」

( ゚д゚)シーン……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピンポーン。「すいませーんっ!!!!!!!」

( ゚д゚)シーン…..

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

キィィィ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピンポーンピンポーンピンポーン!!!

( ゚д゚)シーン……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……(´・ω・`)ショボーン

 というわけで、武田家のもう一つの家宝「御旗」もあることなので、後ろ髪を引かれる思いで菅田天神社を後にすることにしたのである。よく考えたら「楯無」は国宝。神社の方がいたとしても、突然行ったところで「はい。コレが楯無ですよ」などと簡単に見せてくれるとは考えられない。電波少年的アポなし突撃訪問という手法ではいかんともしがたいのかもしれん。

 仕方がないのでR411を北上する。

御旗を求めて

 菅田天神社までのR411はぶどうやワインの看板がマジで並びまくってたが、甲州市役所から北はうってかわり、旧笹子峠のようにひたすら上り坂。道の両側には桃? の木が枝にたくさんの花をつけて目を癒してくれる。

 このR411は大菩薩ラインと呼ばれていて、関東のバイク乗りには比較的有名。ツーリングマップルを見ると、東京から青梅街道を進めばそのままこのR411になるようなので、さもありなん。大菩薩の湯 という日帰り温泉処を過ぎて少し進むと、「雲峰寺こっちよ♪ →」の看板があるので、その細い道(旧青梅街道)に右折。

 途中にあるバス停前のお茶屋さんを越えて進むと、左手に何やら怪しげな杜の奥に暗く長い階段が見える(後でわかったのだが、そちらが正面になるらしい)。ムムム…と進むと右手に無料駐車場があったので、そこの隅っこに停車。

 この雲峰寺にあるのは、甲斐武田家家宝のもう一つ、「御旗」なのだ。 またさっきの菅田天神社みたくスカを食らわされるのではないかとご心配の全国4000万のbarちゃんファンの皆様、ご安心ください。御旗は宝物殿で展示されているのである。

 ドキドキしながら受付のおばあちゃんに拝観料300円を払い、スリッパを履いて中に入ると、真正面に見える日の丸。それが、菅田天神社に蔵されている「楯無」と並ぶ、甲斐武田家の累代の家宝「御旗」である。

 写真撮影は厳禁されているうえに著作権モロモロがありそうなので、ご自身でググって見てほしいんですが、とにかく長年夢にまで見た(マジで)武田家の家宝をこの目で見れるとは……。長時間まじまじと見つめてしまった。

 だって信玄はもちろん、勝頼公もこの御旗と楯無を前にし、「御旗楯無もご照覧あれ」と何度も口にしたのだから!

 この「御旗楯無もご照覧あれ」という言葉は、今でも長引いた会議や打ち合わせなどでなかなか結論が出なかった場合、その場の長が決定とする際に使われるそうだが、信玄の死後の武田家をまとめる立場にあった勝頼公が、この言葉で何度戦場へ赴いたかを考えると感慨深い。

 また武田家はなぜ滅んだかとか、設楽が原の戦いまでの経緯とかを思わず書きかけてしまいそうなのだが、今日ここではやめておこう。

 というわけで、残念ながら楯無を見ることはできなかったものの、御旗は見ることができたんで、とりあえずヨシとするか。

景徳院

 帰りは再びR411を甲州市街を抜けてR20に戻り、そのまま元来た道を帰ろー……と思ったが、よく考えたらR20からちょっと外れたところには、勝頼公の墓所である景徳院があるやん。ここまできて勝頼公のお墓を素通りしてはバチがあたる。

 というわけで、景徳院に参上。

 姫ヶ淵の桜はまだ7割ほど残っていた。今年はあんまり桜を見てなかったから嬉しかったぞ。

 参道を進み、階段を上がって境内へ。そして右に折れて奥に見える甲将殿へ向かう。

 と思ったら、甲将殿の裏のお墓があったところには何やらブルーシートで養生されていて、勝頼公たちのお墓がない!!!

 と一瞬焦ったのだが、境内の前面にババンっと移動されていた。

 おまけに立派な看板まで作ってもらっちゃって。

 そりゃどこにお墓があるのかわからないよりは数倍いい。それもうれしかったのだが、今日一番嬉しかったのは、どなたかが勝頼公の墓前にお線香を手向けてくれていたことだった。

(おしまい)