rider notes

BC-ZR750C乗りの残しておきたいログ

琵琶湖|3.うなぎ大王Tちゃんの逆襲 後編

うなぎ大王降臨

 まったり待つことかれこれ約15~20分。出てきました出てきました、われらがうなぎちゃん♪

食ってる途中で思い出し、慌てて写真に撮るの術。汚い写真でごめりんこ

 そして、満を持してご登場なさった「うなぎ大王」。

でかっ!!!!!

 ひつまぶしはとっても美味♪ 半分をお茶漬けにして、それはそれはおいしく食べちゃいました。これほどうなぎご飯とワサビが絶妙のハーモニーを奏でてくれるとは…。新しい驚きと発見でした。「bar梵 食図鑑」に新しくエントリーしておこう、なんてこちらはほどよく満腹。

 Tちゃん、やけに静かやなぁ…と思って見てみたら、げんなりしてる。

bar「気分でも悪い?」
Tちゃん「いえ…」
bar「どーしたTちゃん。オレとお前の仲じゃないか。相談に乗るぞ」
Tちゃん「く、食えないかもしれないだけです…」ヘ(´ω`)ゞゲップ

 これも、僕をいじめた天罰であろう。 

 階段駆け上がりの術でがくがくの足をひきずっていたTちゃん。今度は満タンになったおなかを苦しそうに、僕たちはとっても親切だったお店のおばちゃんたちにお礼を言って、お店を出た。

朽木の町

 今津駅前商店街を抜けて少し県道を走り、R303に乗って西へ。R303は片側一車線であるものの、交通量もそんなに多いわけでもなく、それなりに爽快に進んでいける。小さな集落をつないでいて、その合間には両側にひたすら広がる田園風景。ふと、こういうところで育った子供はどうなるんだろう…と思ったりもした。きっと周囲に無駄な刺激が少ないから、野山を駆け巡って育つんだろうな。でも今の時代、こうしてインターネットやテレビがあるから、都会の子と比べて、頭の中だけはそんなに変わらないのかもしれない。

 R303を進むと、やがてR367にぶつかるので、それを左折。R367はその昔、鯖街道と呼ばれ、日本海福井県小浜)で捕れた鯖をそのまま塩漬けにして京に運んだと言われる、古くからある街道。鯖といえば、足が速いことで有名な魚。「鯖の生き腐れ」というのは、鯖はいち早く鮮度を失う魚であるため、「京は遠ても十八里」とは言われたものの、京への輸送はやっぱり急いだだろうなぁ。鯖が若狭(小浜界隈)で大量に捕れ出したのは18世紀後半かららしい。

 小浜にある熊川宿や、僕たちが立ち寄った道の駅 くつき新本陣のある朽木宿は、鯖を運んだ人々の中継地点として賑わったそうだ。

 備え付けられた大きな看板には、旧・朽木村(現高島市)の観光マップが描かれている。その中に一つ、気になるイラストが。

Tちゃん「なんですか、この丸八百貨店って」

 R367は朽木宿では新道になっているので、僕たちは道の駅で少し休憩した後、丸八百貨店の正体を暴くべく、旧街道を覗くことにした。「鯖街道ロマン朽木宿へようこそ」の看板から旧道を辿れば、かつての宿場町へと入ることができる。

 もちろん、かの有名な司馬遼太郎の「街道をゆく」の中にも登場しており、「道路わきを堅固に石がこいされて溝川が流れており、家並みのつづくかぎり軒が低く…」とある通りの町並みである。

 だが、たとえば中仙道の馬籠や妻籠のような指定保存地として観光地化されてはおらず、この町には普通の生活の香りがある。日本的な平屋があるなと思ってもちゃんと表札が掲げられていて、現役なのは間違いない。細い道には電柱と不規則に張られた電線や、床屋やスーパーの賑やかな色彩もあるが、古い建物も多く昔の街道の風景を色濃く残している。

 そんな中、角を一つ曲がると目の前の現われたのが丸八百貨店である。

kutsuki-maruhachi.com

 丸八百貨店のある一角だけ、まるで大正時代にトリップしてしまったかのような空気が漂っていた。入口横の壁には「有形文化財 文化庁」の小さいながらも重々しい文字が。とてもふとんの百貨店ではなさそうだ(わかるかなぁ)。

 中からはおばちゃんたちの嬌声が賑やかに聞こえてくる。覗いて見てみると、上までの吹き抜けになっていて、とても気持ちがいい。重厚な外観とも微妙なバランスをとってキレイな様子。入口左手からキレイに磨かれた木の階段が続いていたが、僕たちは2階まで上がることはなかったものの、1階の様子は少し眺められた。奥には丸いテーブルとチェアが数組。どうやら喫茶店のようになっている。右手にはお土産物を展示販売している。

 後になってわかったことだが、この丸八百貨店は1933年(昭和8年)、洋風の外壁の百貨スタイルの建物として完成。そして戦中、そして戦後の物資欠乏の時代から平成に至り、物品の販売が続けられているそうだ。平成7年にリニューアルした木造3階建ては、登録文化財となり、特産品販売から喫茶・軽食まで営業する鯖街道の拠点施設となり、街並みと合わせて癒しと憩いの空間として親しまれているとのこと。

 昭和8年…。そりゃ文化財にもなるよ。これからこういう文化財を残していけるかどうかは僕たちにかかっているんだろう。滋賀県高島市(旧朽木村)は、まぁ今の僕にはなんの関係もないといってしまえばそれまでなんなのだが。

 旧街道は途中で二度ほど大きなシケインがあって、あっという間に終わってしまい、また元のR367に戻ってしまう。僕たちには京都までの道のり、そしてその先がまだまだある。京都市内までは塩漬けになった締め鯖と化して先を急ぐことにした。

 R367はのどかな田園風景を終え、京都との県境を迎える辺りから山の中へと吸い込まれていく。周りの緑と、少しずつ角度を低くし始めたオレンジ色の日の光が少しずつ溶け始めた中を、僕たちのCBとゼファーは軽快に……ん? なんか臭いぞ? なんだこの排気ガスは…と思ったら、目の前に時速50キロという恐ろしいペースで重々しく進むダンプ。なんとか京都府に入り、三千院の横をかすめて大原を通り過ぎ、一路京都市内へ一気。

 ところが京都市内へ入って少しするとどこだココ状態に。京都は基本的に碁盤の目のように規則正しく成り立っている町なのだが、いくら京都にある程度の土地鑑があるとはいえ、所詮はヨソモノ。一旦わからなくなると、とことんわからなくなる。

 ってわけで、朽木宿からぶっ通しだったので、見つけたコンビニで休憩を兼ねて道を尋ねてみたらすぐにわかった。走ってるのは白川通東大路通の一本東側)だった。

 みれば白川通にもすでに傾いた夕陽の光がそこらじゅうに注がれている。本当の市内からは少し離れているうえ、キレイな並木道とあって、雰囲気も、やっぱりどこかキョート。

 東大路通に入ってR1と合流するあたりからは強烈な車の量に圧倒されつつ、僕たちはなんとか名神に乗ることができた。そしてグラデーションもどこか寂しげな空を仰ぎながらも桂川SAへピットイン。

 ここで今後のお互いのルートを確認。ここで二人とも給油してTちゃんはこのまま豊中まで名神でそこからは阪神11号池田線~環状線~15号堺線という行きと全く一緒のルート。僕は吹田から近畿道~阪和道と決めていたのだが、なんと桂川SAの下り線にはGSがなかった。そうなると給油するポイントは吹田SAしかない。ということは吹田JCTを越えていくしかない。

 ってわけで僕も環状線まではTちゃんと超渋滞のランデブー。僕は東大阪線でショートカットして大阪港線~湾岸線で帰宅したのであった。

(おしまい)