四国|3.海に臨み、海を望み、また臨む

 天空から下界に戻るには、来た道をまたなぞるように戻らねばならない。対向車に注意をして……と思っていたけど、結局すれ違った車は1台だけだった。

 無事に下界へ舞い戻って熱風を感じながら、宮池という名前の池を目指して北上。

 県道271号線に入り、まっすぐな長いトンネルを突っ切ったら、

 道の先に燧灘がドパパンと広がって見えて、単純に「おぉ」と思える意外な感動路線。

 海が近いとこういうことはたまにある。今まさに向かっている先に海が見えてくる瞬間は、やはり心が躍る。

 そんな県道271号線が久しぶりに県道21号線に合流する地点にあるのが、父母ヶ浜。

 いざ目の前にしていると、思ったよりも開けた砂浜が目の前に悠然と広がっている。海の向こうの青空との境に島影も見える。

 父母ヶ浜がどういうところか知らないという方も、下のような「映え」た写真を見たことがあるんじゃなかろうか。

 
 
 
 
 
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香川県三豊市観光案内所(@mitoyo_gram)がシェアした投稿

 この時間だと夕日を見られるわけはないので、「映え~」な写真は撮れるはずもないんだけど、そして年甲斐もないといえばないんだけど、まぁやっぱり見てみたいとは思うわけさ。

砂浜の前にはオサレなカフェなんかが並んでる(本日は定休日)

 干潮の時間だったのはラッキー。要するに、この父母ヶ浜は遠浅になっていて、潮溜まりになるところがいわゆる「逆さ」に映って「ばえ~」になるわけだ。

 砂浜にいざ出陣。

 遠浅にしてもなかなかな感じで、砂浜も意外なほど締まっていて歩きやすい。大げさに言うならどこまでも歩いていけそうな気にもなる。とはいえ、やはり足元には気をつけて歩かねばならないわけで、そんなふうに歩いていたらあちらこちらに小さな穴が空いていて、よ~く見るとカニが忍び足で横歩きしていたりする。

わかりますか?

 波打ち際に近づいていくと浅そうだが大きな潮溜まりがあって、観光客たちが三々五々、お互いボーズを取って写真を撮っている。

そんな中、ご夫婦で撮り合っていた方を横から撮って差し上げる

 若者グループがキャッキャ言いながらはしゃいでいる中、殊の外ミドルなご夫婦もいたりして、明らかに年寄りの部類に入るぼくが言うのもアレだが、こういうところに来たいと思うのは年齢に関係ないんだなと思えて少し安心した。

 一人ではしゃぐのも照れるので四郎号のところに戻り、低い防波堤に座ってしばらく父母ヶ浜を眺めていた。なかなか長閑な時間だった。

 再び県道21号線は北上するのだが、仁尾の役所を越えると右に曲がって内陸部に入っていく。そこを曲がらずにまっすぐ進むと県道は231号線に数字を変え、浦島伝説で有名な荘内(三崎)半島を燧灘沿いに進んでいく。

 ほどなく見えてくるのは、紫雲出(しうで)山への登山口。

 「紫雲出山」の名前も、浦島太郎が龍宮城でもらった玉手箱を開けたら立ち昇った紫色の煙から名づけられたと言われている。登山口のちょっとした休憩スペースにはおそらく龍宮城を模した公衆トイレも見える。

 銭形展望台、そして天空の鳥居に続く、本日3つ目の絶景へアプローチだ。かなり上の方まで車道が続いているようなので、下ってくる車やバイクに用心しながらそろ~りと上っていく。

車同士だとすれ違うのがギリな感じ

 と思ったら上り始めて10分もしないうちに駐車場に到着。

 展望台へはここから歩いて10分と看板に書いてある。いいかげん飽き飽きしてきた暑さに辟易しながら支度をしていたら、ほどよい大きさの2台のバスが駐車場に入ってきて止まり、中からオジイオバアたち観光客がわんさか下りてきた。

 もうちょっと遅かったらバスの後ろを走っていたところだった。夏じゃないのかと思うようなこの暑さのなか、坂道を上る鈍重なバスの後ろで排気ガスを浴びながら時速20Kmで走られた日にゃ目も当てられん。心のなかでほっと胸をなでおろす。

 オジイオバアを案内するガイドさんの甲高い声を聞きながら、またまた絶景を求めてひたすら坂道を歩いて上っていく。

 ひーひーふーふー息を継ぎつつ汗をだくだくにかきながら上っていたら、少しずつだが道の傾斜が緩やかになる。そろそろ展望台も近いのか? と思わせたところに見えたのは、「紫雲出山遺跡」?!

 標高も350mを超えるこんな山の上に遺跡? と思ったのだが、弥生時代の中期の遺跡で、場所から推すに、軍事的・防御的な性格をもった集落だったのではないかと考えられているそうだ。もちろん弥生時代も後期を迎えるとその役割も終わり、同時にこの山上の集落もその役割を終えたのだ。

弥生時代中期の高地性集落の性格や同時代の社会の評価に多大な影響を与えた学史上著名な遺跡。その立地や出土遺物は,弥生時代中期の高地性集落の性格や瀬戸内海を介した広域交流の在り方を考える上で極めて重要。

文化庁 文化遺産オンライン

 っていうか、あまり見たことのない、結構シュールな展示方法なのが印象的だった。

驚かせることを目的としているなら納得はできる

 さて、やっとここまで歩いてきたのだから、若いカップルがいるのもおかまいなしに絶景を堪能するとしよう。

 ここは今日の中では一番風が強くて、暑くてたまらん身にとってはこのうえなく涼しく心地いい展望台だった。

 四郎号で登山口まで下りたところのスペースがちょうど日陰になっていたので休憩することに。

 どこからともなく爆音がしてきて、目の前に現れたのはカタナだった。ほんとに見事な1100。ぼくから少し離れたところ滑り込むように走ってきて止まる。バイク屋さんらしきツナギを着た若いお兄ちゃんがエンジンのあたりを覗き込んでいる。整備をした後の調子でも見てるんだろうか。

 暑さもちょっと落ち着いたのでベンチから立ち上がり、四郎号にまたがってエンジンをかけると、彼もこちらに目をやり、ぼくとお互い目が合って、軽く頭を下げる。こういう一瞬の些細な光景は、その後も意外と覚えているものだ。

 一旦ここまで走ってきた県道234号線を戻り、

  大浜漁港から燧灘に別れを告げるべくテキトーに内陸方向に曲がって道なりに進んだら、県道232号線に入る。そこから左に瀬戸内海を見ながら東に向かっていくと、

 県道231号線になって、やがて「さぬき浜街道」の標識もある県道21号線に合流。ただしバイパスになっている方じゃなくて旧21号線の方に入ってJR予讃線に沿って道なりにのんびり進む。

 防潮堤沿いにコンクリートの道を進むと、見えてきたのは津嶋神社。

 ここまで訪れた銭形砂絵、天空の鳥居、父母ヶ浜、そして紫雲出山は今まで行ったことがなかったのだが、唯一来た記憶があるのはこの津嶋神社だけだ。

 紫雲出山から下りて休憩しているときにツーリングマップルを見ていて、近くにあることに気づいた。今日の宿に行くにもまだ少し余裕もありそうだったし、ハタチのときに行って以来、久しぶりに来てみたくなったのだ。

年に2日だけ渡れる神の島「津嶋神社」

香川県三豊市三野町の沖に浮かぶ小さな島に奉られている津嶋神社は、子供の健康と成長の守り神。毎年8月4・5日両日の夏季大祭には海岸から島まで渡り橋がかけられ、早朝から夜まで子連れの参拝者で賑わう。

JR予讃線「津島ノ宮駅」は、夏季大祭の時だけ営業する幻の駅です。

三豊市観光交流局

 もちろん大昔に来たときもこの橋を渡れたわけではなく、今日と同じように指をくわえて近そうで遠い津嶋神社を遥かに見ながら、文字通り遥拝殿から手を合わせるだけはしておいたのだった。

(つづく)