平城京跡公園
薬師寺から歩いて行けなくもない距離にある唐招提寺だが、いったん空腹を感じるとダメだ。ここは一旦、食べ物屋さんがありそうな主要道路に出てお店を物色することとする。食べ物屋さんが見つかりそうな大きな道路は……とツーリングマップルを見てみると、「もし時間があれば寄ろう」と思っていた平城京跡公園が目に入ったので、そのすぐそばを走る県道1号線まで行ってみることにした。
が、すぐにその野望は崩れ去った。入りたいと思えるお店が全く見当たらないなぁ……などとぼーっと走っていたらあっという間に平城京跡公園らしき駐車場の入り口に到着してしまって係員に案内されるまま入ってしまったところ二輪の駐車代は不要だったのでとりあえず止めてみたのだった。
人の気配はあるにはあるが閑散としており、おまけに目の前の芝生は冬枯れた味気ない色を見せていて風も冷たく吹きすさんでいる。個人的には空腹も抱えているところだったので、雰囲気的にも心情的にも、いかにも「The 冬」だった。
休日にはもうちょっと人出があって賑やかになることもあるのだろうが、発掘作業なのかイベントの準備なのかは知らないが、テントとカラーコーンをたーくさん並べた中を黄色いヘルメットをかぶってニッカポッカを履いた工事現場的な方々がせっせと動き回っているだけだったので、一人では寂寥感が増すばかりだった。ここは退散が賢明とみた。ただ、せっかくここまで来たんだから、次のお寺に戻る前に大極殿だけ見にいこう。
公園の横に沿って北上し、近鉄の線路も越えて進むと見えてくるのが大極殿。やっぱりでかい。
大きなビルを見慣れているぼくでさえこうなんだから、そんなものを見たことのない当時の人達が見たら、さぞかし天皇の威光を肌で感じとったことだろう。
唐招提寺
いよいよ本日ラストの世界遺産にして国宝連発の唐招提寺へ。
唐招提寺の南大門は法隆寺や薬師寺とはまるで違い、狭い道を挟んですぐにお店や人家が立ち並ぶ手狭な感じだった。こんなんだったっけ。
法隆寺と薬師寺の間くらいの拝観料を支払い、境内に入るとすぐ正面に見えるのが金堂。
簡素であるがゆえの美しさと偉容が今でも伝わってくる。これも教科書だか資料集だかで見たアングルだが、この凛とした佇まいはやはり実物を見なければわかるまい。
井上靖氏の「天平の甍」でも描かれていたが、日本からの熱心な招きで渡日を決意した鑑真は、五度の渡海失敗のうちに盲目になりながらも六度目の挑戦で見事海を渡りきり日本に来朝したほどの、日本の古代史には欠かせないお方だ。その鑑真が759年に創建したのが、この唐招提寺である。
金堂には本尊・盧舎那仏坐像が中央に鎮座し、右に薬師如来立像、左に千手観音菩薩立像。その他、持国天、増長天、広目天、多聞天、梵天、帝釈天が並ぶのだが、それら全てが見る者を圧倒するかのようでいて、しかし優しく包み込むような雰囲気も兼ね備えている。これを見た天平の人たちの心情たるや我々の想像を遥かに超えるものだったろう。
そして、金堂の後ろには講堂。唐招提寺は「大」講堂とは言わないようだが、十分でかいでしょ。
その他、東室・礼堂や宝蔵・経蔵などを見て回り、売店でお土産を選んだり。
駐車場に戻って四郎号の無事を確認したら、結局諦めきれない煩悩まみれのぼくは目の前の売店で回転焼きを頬張りながら、「35年前の記憶なんて残ってるようで残ってないもんだな。ただ『行った』という記憶があるだけで細かいところなんてほとんど覚えていない。あの頃の自分と今の自分は感受性も異なるから同じであって同じではないんだな」というようなことを考えていた。
(おしまい)