家を出る前にごはんをしこたま食べてきたので空腹は感じなかったが、時計を見るといつの間にやら時刻は12時過ぎだった。駐車場の目の前を通るR25を見ると、日常を過ごす人たちの車が渋滞の列を作っている。支度を済ませて四郎号に跨り、その渋滞に果敢に突撃。すぐさま県道9号に乗り換えたら、面白いくらい車がいなくなった。
県道9号線の標識にひたすら従って大和郡山城の脇をいつの間にかすり抜け、一路、薬師寺へ。
小さな案内標識に従って県道9号線を左折して進むと、遠く右手に小さく塔が見えてきた。小さな川を跨ぐ赤い欄干の橋を渡って正面に見えてくるやたら大きな駐車場の片隅の小さな管理棟から出てきた、防寒コートを着たおっちゃんが手招きをしてくる。
一瞬逡巡したものの、かといって他に駐車場は見当たらなさそうだったので、手招きするおっちゃんの言うがままに入ってみると、「バイクは100円ね」と極めて良心的だった。
おっちゃん「今日はね、ここは、ほら、そこの鉄の門ね、4時半に閉めちゃいますから、それまでには戻ってきてくださいね」(にっこり)
ぼく「ありがとうございます」(にっこり)
締め出された人間がいるから言ってくれているんだろう。その反面、そんなに長時間滞在する人がいるんだろうかとも思った。あとになって知ったのだが、薬師寺の駐車場に車を置いて、そのまま唐招提寺にまで足を伸ばす人もいるらしかった。
おっちゃん「(駐車場の横にある)この道を歩いていったらそのまま薬師寺の参道になりますよ」
言われたとおりに歩いていくと一気にそれらしい雰囲気の松並木になり、
やがて、薬師寺の南門(重文)と塀越しに東塔と西塔が顔を覗かせている。
受付で法隆寺の約半額の拝観料を払って、いざ突入。
「日本書紀」に天武天皇が奥さんの病気平癒を祈願して建立を発願したことが書かれているくらい重い歴史のある薬師寺の中門をくぐり、まずは西塔から。
1528年(戦国時代初期)創建の西塔が消失して約450年後の1981(昭和56)年に再建されたばかり。新しさも今日この一日一日が歴史となっていくのだ。
そして、薬師如来、日光・月光菩薩の薬師寺本尊国宝トリオ(薬師三尊像)を安置する中央の金堂も1528年に兵火によって消失したが、1976(昭和51)年に再建。
右側に控えるのは、そのものが国宝の東塔。
東塔は六重の塔っぽくなっているけど、小さい屋根は裳階(もこし)と呼ばれる飾りなので実際には大きな屋根だけで数えるから三重の塔になる。その大小の屋根の重なりと絶妙なバランスから、「凍れる音楽」と評したのは、かのフェノロサだったとか。(諸説あり)
オリエントは西洋人にスピリチュアルなものすら感じさせるのだろうか。建築物に「凍れる音楽」なんて語れるセンスがぼくにもほしい。
金堂の後ろにはお決まりの大講堂。
2003(平成15)年の再建の大講堂の中には、国宝の仏足石と仏足石歌碑が安置されている。ぼくは仏足石歌の歌体(六句五七五七七七)しか知らず、仏足石歌碑をまじまじと見たものの刻まれている歌は何一つわからず。仏足石も凝視してみたがどこにお釈迦様の足跡があるのかさっぱりわからず。結局、何もかもわからずじまいだったわけだ。もう少し教養がほしいところだなぁ。
東の回廊の外側にあるのは8世紀初頭に建立された東院堂。その後、1285年(鎌倉時代)に再建された、これも国宝である。
1時間ほどぐるぐると歩いて見て回っているうちに、さすがに腹が減ってきた。ちょっと予定を変更しよう。
(つづく)