島根半島はもちろん海に突き出た陸地であるし、境港の町じたいも大きな砂州の上につくられているので、境水道は海の一部なのだと思っていた。
ところが中海で淡水化事業が行われ汽水域になった経緯があるため、正式には日本海に注ぐ河川となる。もちろんこんなことをぼくが知っているはずもなく、皆さんの予想どおりwikiの受け売りなのだが内緒にしておいてほしい。海だろうが川だろうが、眺めがいいならぼくにはどっちでもいいノダ。
美保関の町は後回しにするとして、島根半島の先端にある無料駐車場に到着。さすがに平日だけあって車もまばら。
そこからてくてく歩いて10分ほどすると見えてきたのが美保関灯台。
美保関灯台は1898(明治31)年建造。山陰地方では最古となる石造りの灯台だ。「日本の灯台50選」だけでなく、「世界灯台100選」にも選ばれているそうで、灯台としては初の登録有形文化財に登録されている。
7月の海の日以外は公開されていないため中に入ることはできなかったが、灯台の足下にあった展望デッキのベンチに座って日本海を見ながら時折さえずる鳥の声を聞きつつしばしボーッとできる。灯台の横に「ビュッフェ」と看板を掲げたレストランもあったが、蒜山牛乳とビーフコロッケで空腹は多少満たされており、すでに2時半になろうとしているタイミングだったので、晩めしのために空腹をとっておくことにする。
駐車場に戻って美保湾を眺めながら一服していると、近所から暇つぶしで来ているらしきおっちゃんから声をかけられた。
聞けば、ぼくが現在住んでいる町に娘さんが暮らしているらしく、町の様子なんかを話すと嬉々として聞いてくれ、娘さんの自慢話を延々としてくれた。こんな偶然があるんだな。
ひとしきりおっちゃんと談笑したら、お礼を言ってリスタート。境水道沿いに走ってきた県道2号線を辿り、
美保関の町を歩いてみよう。大昔も来たことはあったはずなのだが見事なほど記憶にない。
見つけた無料駐車場に車はぽつぽつ。バイクはもちろん他にはいなかった。
美保関は日朝貿易の拠点として、北前船の風待ちの港として非常に栄えた。最盛期には人口の1/4が遊女だったという記録も残るほどで、風待ちでの歓楽街だったようだ。美保神社(700年代創建)と仏谷寺を結ぶ参道に天然石を敷き詰めた青石畳通りが当時の繁栄ぶりを今に伝えていることでも有名。
こういう風景を見ると四郎号と一緒に写真を撮りたくなるのだが、あまりの静けさにお邪魔してしまっては申し訳なさすぎると思ったので今回はやめておくこととした。
今日の宿を取っている米子に向かうにはそろそろいい塩梅の時刻になってきた。再び県道2号線で境水道と並行し、見えてきた境水道大橋を渡って、
鳥取県に突入。境港のR431で弓ヶ浜沿い(といっても海はほぼ見えない)を走り、途中でショートカットする県道317号線にスイッチしたらもうそこは長閑な風景の広がる田舎道。道はほぼ直線で信号も少ないから走りやすかった。
あまり見たことのないデザインの大きな飛行機が頭上をぐるぐる回りながら飛んでいた。目を凝らしてみると日の丸が機体に描かれていた。空自の輸送機かな。
(つづく)