rider notes

BC-ZR750C乗りの残しておきたいログ

北陸|3.輪島の夜

 到着した時にはすでにホテル正面入口の両脇がものすごい数のバイクで埋められていたが、まだ屋根のある端っこになんとかスペースを見つけて四郎号を止めることができた。国内外の観光客で大賑わい(というか大騒ぎ)のフロントで無事チェックイン完了。

面白味は全くないが安定のルートイン品質

 その際、

フロントマン「ただいま輪島市の援助でガソリンの補助券がございます」

barマン心の叫び「なぬーっ!!!」

 輪島に入る手前のGSでしこたま入れたところだよ……。

 リッター30円引きはデカい。デカすぎる。しかし、後悔したとて入れてしまったものは仕方ないので、潔く諦めることとする。でも、何度でも繰り返すが30円/L引きはデカい。

 さて、昼めしを山菜そばでガマンしてまで賭けてきた晩ごはん。どこで食べようかとGoogleマップで検索するが、今日は祝日(秋分の日)なので営業時間はよくわからん、もしくは開いてるのかどうかよくわからんという文言が並ぶ。こうなったらいつものごとくアポ無し突撃しかない。

 まずはホテルのすぐ近くに見えた赤提灯のお店。

bar「一人なんですけど……」
おばちゃん「ごめんなさい。さっき予約が入っちゃって今日はいっぱいなの」

 見ればカウンターのみで6~7人も入ればいっぱいになるほどの小さなお店。パッと見た感じだとすごくぼく好みのお店だった。

 こんな小さな町でも祝日の夜となると人出はあるんだな。別のお店を探索してみることに。

 とはいえ、どこかにアテがあるわけではない。灯りがついているお店らしきところもあったが食事処ではなく、どうしたものかと歩いていると、どこからか勇ましいばかりの太鼓の音。なんだなんだと野次馬根性丸出しでその音のほうにずんずん歩いていくと、輪島の街の大きさからは似つかわしくないほど立派な神社の境内。

 そこを埋め尽くさんばかりの地元の方々の、あの祭り特有の、生き物としてのエネルギーに満ちた境内で、どうやら太鼓打ちの大会のようなことが行われていた。

 キレのある音で太鼓を打つ出場者たちの勇ましい姿を見ていると、空腹なのを忘れてぼくもしばしその熱気の渦の中で見とれてしまっていた。胃はおろか、内臓全体を揺さぶるような太鼓の音を聞くことなどほとんど経験がなく、心地よさすら感じていた。

 とはいえ、十組ほど見ていたらおなかがグーと鳴ったので、太鼓の激しい音に励まされるように勇ましく再出撃。

 神社の境内を抜けたところにお店の明かりが見えた。

bar「一人なんですけど」
大将「ごめん! 予約でいっぱいなのよ」

 ここもこぢんまりとしたお店だった。

 今夜はつくづく運がないな、なんて思いながら歩いていると、また発見。店先の小さな看板の「刺し身はありませんが」云々という言葉にちょっと迷ったものの、いいかげん腹も減っていたので突入。

 扉を開けるなり飛び出してくる大賑わいの声。入ってすぐ右手の座敷では団体さんがすっかりできあがっており、その前を通り、一人ならと唯一空いていたカウンターの一席に案内されてやっと人心地つくことができた。

 漁港もすぐ目の前なんだからほんとは海鮮や旬のものが食べたかったけど、団体さんや他の常連さんへの対応で目に余るほどのてんてこ舞いぶりのお姉さん方があまりに気の毒に見えて遠慮してしまい、ありきたりなもので終わってしまった。

 お店からの帰り際、太鼓の音がまだドンドコ聞こえているので、また寄ってみることに。

 境内でビールを片手にタバコを吸っていたおっさんに聞いてみると、今日(9月23日)と明日は年に一度の合社祭という祭りで、今日は太鼓打ち競技会なのだそうだ。もう100年近く続いている行事で、遠方からも参加者がいるほどの大きな大会とのこと。偶然とはいえいいタイミングで来られて、いいものを見させてもらえたなと思いつつも、晩めし難民になりかけていたのはこの祭りのせいもあったのでは、とも思ったが、無事に晩めしにもありつけたのだから、まあ結果オーライとしよう。

 偶然に感謝しながらすっかり寝静まった感のある輪島の街をちんたら歩きながらホテルへ。

 大浴場の露天風呂で湯につかっていると、すぐ外からずいぶんとデカい太鼓の音がドンドコドンドコドンドコドンドコ聞こえてきた。そういえば立て看板があったなと思い出し、風呂から出てフロントまで行ってみると、

 腕時計を見ると、ジャスト8時半。これは行くしかあるまい! キリコ会館までは歩いて2~3分と至近だ。

 すでに駐車場はほぼ満車状態。ドンドコドンドコドンドコドンドコと聞こえる方へぐいぐい進んでみると、野外ステージのようになっているところで御陣乗太鼓が実演されていた。

 わずか20分ほどだったが、とにかく内臓全部が揺すぶられるほどの迫力。

 この御陣乗太鼓は、輪島市内にある人口わずか250人ほどの名舟町にいる20人だけが打ち手になっている。しかし、伝統芸能のご多分に漏れず過疎化により衰退の一途を辿ってしまっただけでなく、1993年の能登沖地震輪島市震度5)、2007年の能登半島地震輪島市震度6)で大きな影響を受けたこともあって、危機感を募らせた保存会の方々が積極的に広めようと、今回のように無料であっても活動しているそうだ。夜叉や達磨などの面をかぶり、海草を頭に被るという異様な形相なのは、元々能登に侵攻してきた上杉謙信の軍に夜襲をかけたことがきっかけだから。

 というのは、20分の実演を見終えた帰り、駐車場の空きスペースで切籠(切子灯籠。キリコの語源)のそばにいた保存会のおっちゃんから聞いた話だ。話しかけたときはずいぶんと怪訝そうだったが、聞いているうちに機嫌よく話してくれた。

 年に1回しかない祭りに遭遇でき、御陣乗太鼓も見られたことになぜか充実した気持ちになり、ぼくはベッドに潜り込んだ。そして、その夜は寝るまで耳の奥でドンドコドンドコドンドコドンドコと太鼓の音が鳴っていたのだった。

(つづく)