rider notes

BC-ZR750C乗りの残しておきたいログ

四国|4.宇和島の城

 宇和島に向けて高速を意気込んで走り出してはみたものの、どこからどうみても雲がかかっているようにしか見えない不安な行く手。

 そのうち「キリ発生中」という電光掲示板が見え、その先では本当に濃霧。

(写真で見るよりホントに濃霧だった)

「あらららら…」と思っているうちに山間部を抜け、西予宇和ICを越えたあたりからは霧も晴れて、宇和島朝日ICを下りる頃にはもうピーカン。

(うぇ~い)

 祝日の朝ということもあって交通量はほとんどなく、高速を下りたら宇和島城までほんの数分。真新しげなバイク置き場に四郎号一番乗り。

 荷物をまとめて、いざ登城。

(北登城口にあるのは宇和島藩家老・桑折氏の長屋門を移築したもの)

www.city.uwajima.ehime.jp

 築城の名手と名高い藤堂高虎の手による名城。石垣からもその雰囲気がぷんぷん匂ってくる。

 急な石段をえっちらおっちら登れば、そこが本丸跡。

 現在残るこの天守は1660(寛文)年代のものと伝わる、いわゆる「現存十二天守*1」の一つ。この宇和島城とともに「百名城」に登録されている大洲城には脇目も振らず、わざわざ宇和島城までやってきたのは、この「現存十二天守」だから、というのが大きい。

 宇和島といえば伊達政宗の長男・秀宗を祖とする伊達藩10万石で有名だが、この地に本格的に城を築いたのは1595年に入城した藤堂高虎。石垣やこの天守は伊達時代に改修の手が入ったが、藤堂高虎の縄張り(城全体の設計)をそのまま流用したのは、やはり優れていたからに違いない。

 そして「現存天守あるある」だが、とにかく階段が急勾配すぎ。昔のお侍さんたちはこんな階段でもスタスタ上っていたのだろうから、想像を絶する健脚ぶりに素直に脱帽する。

 貧弱な現代文明人の僕がひーこら言いながら上り切った最上階は、手狭な感じもするが眺めはよろしい。

 今じゃすっかり海は遠いが、築城された頃のこの城は「海城」として造られており、城山のすぐ近くまで海が迫っていたそうだ。

 高校野球でも有名な宇和島東高校もばっちり確認して天守を出たら、登りとは違う遠回りのゆるいルートでのんびりと下山。北登城口へ戻ってくると、すぐ横にあるショップを覗いてみる。お土産を買うチャンスはここが最後かもしれない。

 考えてみれば徳島港ターミナルでも買えるんだろうけど、旅行帰りの空港や駅ビルで慌ててお土産を買うのと同じで、どこか申し訳ない気持ちになってしまう。やっぱりお土産はその場でその場のものを買うに限る。

 昨晩はいざ食べようと思ったらおなかいっぱいで無理だった鯛めし。今だって本当は食べたいのだが、朝食を済ませてからまだ3時間ほどしか経っていないからとても無理。帰ってからでいいので、せめてお煎餅で。もう一つの「伊達候」は僕でも知っている銘菓。なんてったって「最上最中」だもの。これは外せまい。

u-monami.com

 ここで時計を見るとまだ10時半。帰っちゃうのは惜しいなぁ。

(つづく)