謎の沈下橋~上岡沈下橋
R381にうまく合流してすぐに四万十川を渡り、左側に川を見ながらほとんど交通量のない区間をのんびりと走ることができた。
すぐ眼下に1つ目の沈下橋が見えるが、橋のたもとに車止めのためのU字ブロックが見えたのでスルー。また少しして見えてきたのでR381を逸れて、「向かいから車が来たらアウトだな」という程度の細い道を下っていって、四郎号初の沈下橋。(後で確認してみたのだが特に名前は付いていないもよう)
R381に戻って少し進むとまた見えてきたので、河原まで下っていってまた写真をパシャリ。(上岡沈下橋)
ここで大切なのは、「どこの沈下橋で写真を撮っても、ほぼ同じ絵ヅラになる」という事実から目を背け、ただ純粋に四万十川の風景を楽しむということだ。これは決して自己欺瞞ではない。沈下橋を楽しむための秘訣なのである。
朝の儀式と爽やかなご夫婦
上岡沈下橋で川の流れる音に少し癒やされてからR381に戻って進むと、「道の駅 四万十大正」というところが見えてきたので朝の儀式を執り行うためピットイン。
朝の厳粛な儀式を無事終え、川の流れをぼんやりと見ていたら、すぐ近くでトシの頃は僕の少し下くらいのずいぶんと爽やかそうなご夫婦がかわりばんこに写真を撮っていたので、にっこりと微笑み「撮りますよ」と申し出て善行を積んでみた。
旦那さん「どちらから来られたんですか?」
barちゃん「大阪から来られました」
旦那さん「そうなんですか! うちは明石から来て一泊しました」
barちゃん「僕も昨日から来てテントで一泊しました」
旦那さん「わぁ、すごい」
barちゃん「明石からだと(明石海峡大)橋で淡路経由ですか」
旦那さん「ええ。そちらは」
barちゃん「僕は和歌山からフェリーで徳島です」
旦那さん「そうでしたか。どうかお気をつけて」
barちゃん「ありがとうございます」
やっぱりGo To トラベルかなー。宿に泊まったらめちゃくちゃく安くなると聞いたし。
芽吹手沈下橋
朝の儀式ととっても爽やかなご夫婦のおかげですっかりおなかもすっきりしたところで再びR381へ。少しR439との重複区間を経てまだまだ四万十川沿いだぞ。
また遠くに沈下橋。行けそうなら行きたいところだが…と思いながら進むと、国道から脇道に入って行けそうな気配だったのでアタック!
んん~。やっぱりどこをどう撮っても絵ヅラはまったくといっていいほど同じになるな。(芽吹手沈下橋)
R381は比較的近いはずなのだが車の音なんかまーったく聞こえてないし、誰も来そうになかったので、橋の端っこ(シャレではない)に四郎号を寄せておいて、橋に腰かけて少しの間ぼーっと川の流れを見ていた。
「四万十川はキレイ」というのは今から約30年前の僕の放浪時代にも放浪仲間では確かに有名だった。僕も今ではほとんど覚えていないがいくつかの沈下橋を渡った記憶もある。でもいつのまにか四万十川は「日本最後の清流」という謳い文句で宣伝され、気づけば観光地化していると聞く。今回僕がいまのところ見てきた沈下橋は観光客で溢れかえっていたわけではないが、それでも何百年も前から今と変わらず清らかな水を満々とたたえて静かに流れる四万十川自身はどう思っているんだろう。
道の駅 四万十とおわ
R381に戻って先に進もう。
いいかげん喉も渇いてきたので「道の駅 四万十とおわ」でお土産を選んでお茶を買って飲んで一服。時計を見るともう11時半になろうとしている。
その後R381は蛇行しながら何度か四万十川を大きな橋で越えていく。左側を見ると、また沈下橋が見えてきて、まさに軽自動車が一台通っていくのが見えた。その長生の沈下橋をサクッと渡ってみたりして先に進み、四万十川に沿って進むためにR381からR441へ左折。その後も気づけば沈下橋が現れてくるのだが、気分的にはもうお腹いっぱいになってきたので道から雰囲気を味わう程度にとどめておくことにした。
三里沈下橋
ただ気分よく走れたのはわずか。途中からは3台のダンプに前を阻まれ、おまけに道はところどころで狭隘路になっていたので抜くに抜けず、諦めて30Km/hでまったり巡行。
川登という集落あたりで県道340号線にスイッチしてもダンプは相変わらず。そして「三里沈下橋コッチ→」という看板を過ぎたあたりの砕石場でようやくダンプが離脱してくれた。
ヤッター!という気持ちが出てしまったのだろう。僕は解放された思いでビューンと先に進んだ。すると、道の向こうに誰か立ってる。
ん? 旗を持ってる。警察か? やられたか?! む? バリケード?
おっちゃん「先には行けんよ~」
bar「は?」
視線の先にある看板には「通行止め」の文字。
おっちゃん「通行止めなんよ~」
bar「はぁ」
おっちゃん「ちょっと戻ったら沈下橋があるから、そこを渡ってほしいんよ~」
さっきの三里沈下橋のことだ。
おっちゃん「渡って左側に行ったらこの道にまた出れるよ」
bar「ほんまに~?」
おっちゃん「大丈夫大丈夫。軽でも通れる橋と道やから」
もう通れないとなるともちろんおっちゃんの言うことには従わなくてはならないのだが、道を戻りつつ思ったのは「沈下橋ありきで通行止めにする」という事実である。地元の方にとって沈下橋が生活の中に根付いているかということなのではないだろうか。
ただの観光客である我々からしてみたら「沈下橋を渡る」ではなく「沈下橋を渡らされる」という事態に若干戸惑いを禁じえないということだ。
おっちゃんが「大丈夫大丈夫。軽でも通れる道やから」と言っていた道は、中央が苔むしていたり、
両側が雑草で鬱蒼としていたり、
「軽でも通れる」ではなく、正確には「軽なら通れる」道なのではないか?
佐田沈下橋
僕がR441から県道340号線にわざわざスイッチしたのはなぜかというと、僕が渡った記憶のある唯一の沈下橋である佐田沈下橋を見るためだ。獣道のようにも感じた(ツーリングマップルでの)白い道をどうにかクリアし、見えてきました佐田の沈下橋。
さすがにここは中村の町から一番近いということもあって、観光客がたくさん歩いて四万十川の流れる景色を楽しんでいる。僕としては予期せぬ獣道からせめて県道340号線に戻りたい一心で、失礼を承知で橋を渡ることにした。もちろんなるべくエンジンを回さないようにしてそろ~りそろ~りと、そして避けてくれている方々にペコペコしながら渡ったのは言うまでもない。
(つづく)