rider notes

ZR750 D5乗りの残しておきたいログ

攻城戦|2.伊勢國本城・霧山城

 R169は五條のR370と同じくしばらく吉野川に沿うように進み、宮滝からは一瞬R370に入り、山の中を走ります。

 やがてお気に入りの県道16号線で東吉野村を縦断するのですが、今回もするするする~と気持ちよく走ってしまったために見事に写真を一枚も撮っていないという失態。そうこうしているうちにR166に合流し、あとは高見峠へ一直線。

 ぐいぐいと標高を上げつつ、「そういや何年も前に真冬に高見峠を越えようとしてえらい目に遭ったなぁ…」などと思い出しながらも、

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 高見トンネルをくぐり抜けて、恒例の休憩所で奈良と三重の県境の山々を望みます。

 ぐる~っとヘアピンを回って下界におりたら、R166を一直線!

 R166も途中から櫛田川を何度か跨ぎながらも沿うように進みます。

だんだん暑くなってくると水が恋しくなるのは自然の摂理

 高見峠を越えてちんたら50分ほど走ると、これまたひさかたぶりの道の駅・飯高駅。GWで賑わってるのは当然として、なんといっても一番たまげたのはバイク用の駐輪場が作られていたことである。

 こういう混む時期に来たことがなかったから人がたくさんいたのにもびっくりしたけど、とりあえず何か食べられるものを物色し、栗赤飯をゲットしてお昼ごはん完了。

 ここで2時過ぎ。この後どうするかな~とツーリングマップルを見ていたら、飯高からちょうど北にあたるところに書かれていたのが、「北畠氏館跡庭園」「ふるさと資料館」「霧山城跡」の文字。そういやこんなところ、行ったことないぞ。ちょうど高取城址に行ったところだし、城跡2連発もいいな…と思い立ち、早速向かうことに。

 R166からは一旦松阪方面に向かい、

 R368にスイッチして、

 ぐいぐい上っていき、案の定、というか、予想どおり、というか、やっぱり山道っぽくぐねぐねしてきて、

 今日はこんな道ばっかりだな。

 対向車もほとんどいなくてよかったけど。

 道の駅・美杉を越えて、三重県道30号線を右折すると、ほどなくして見えてくるのが北畠神社。

 北畠氏と言われてもあまり興味のない方にはなんのこっちゃさっぱりわからないと思いますが、南北朝時代南朝方(後醍醐天皇側)の重臣である北畠親房北畠顕家が特に有名。北朝方の足利尊氏らと争い、その後伊勢國(現三重県の大部分)の国司として定着し、以後戦国時代までは離合集散を繰り返しながら伊勢國で一定の力を保っていたものの、その後信長の攻撃にさらされるようになり(またか!)、信長の次男・信雄を養嗣子にすることに合意。しかし、結局は信長らに北畠氏は謀殺され、乗っ取られる形で滅亡することになるという非業の一族なのである。その北畠氏が一時本拠としたのが、ここ霧山城というわけ。

 進むと見えてきた「左 霧山城登山口」の文字にイヤ~な予感がしつつもなおも進むと、

 広場みたいになってるところの端っこに見えた、「霧山城址1350m」の文字とその横の暗がりの、

 ケモノ道みたいな暗~くて細~い道に若干躊躇しつつも、ここまで来たら行くしかあるまい (´・ω・`)トホホ と思いつつも、はじめはな~んとなく階段があったからよかったものの、そのうち階段もなくなってただの土の道になり、階段が出てきた! と思ったら強烈な上り坂。

 ひーこら言いながらなんとか上ってきたところでちょっと眺望が開けたので眼下を望む。

左に見える麓の丸い環濠っぽくなってるところが館跡

 さて、ここが頂上=本丸かと思いきや、まだもうちょっと上があり、そこに解説板。

 やっぱり本丸はもう一つ上か! と道らしきところをキョロキョロ探してみるものの、解説板から推し量るに、どうやら、

もうどこが道かわからねーよ

 とは思ったが、ここまできて諦めるわけにはいかん。道なき道を進み、ようやくたどり着いた「本丸」にあたるところは、

なんにもねー

眺望も全然ねー

 記録では1574年に織田軍に落城させられてからは廃城状態だったわけなので、しかたないかもしれん。北畠氏9代240年にわたる本拠地とした名高い城だっただけに、もうちょっと整備してよさそうなもんだけどな。

 県道30号線にかかるこいのぼりに見送られながら帰途につきました。

 サビキにかかったカタクチイワシみたいだな。

(おしまい)